光景
今日も、ムーズがやってきた~あなたと漫才を~
「光景」
前回の「風景」といっしょとちがうんかといわれそうやけど、ぼくは、こだわっていて、景色が中心なのを、「風景」で、人が入っているのを、「光景」と考えているねん。
人間の情報の80%は、「見ること」から入ってくるんやて。また、「目は、口ほどに物を言い」とゆうから、なかなか嘘がつかれへん。逆にゆうたら、杉良太郎のように、目ぃを、うまいこと使うたら、この世は、うまいこといくのかもしれへんな。
そういえば、「痴呆や」と医者にいわれている(ぼくらは、絶対ちがうと考えている)、ぼくの母親は、病院で、嫌いな医者や看護師が来たら、眼で、そいつらの方を、「指さして」(?)、「気ぃつけや!」と教えてくれるんや。やさしい医者が来たら、ゆうこときくねん。ほんまにおもろいわ。
自分が、ある状況におかれていて、ある光景と、ピタッと合うと、ずっと忘れられへんようになるな。だから、昔、経験した光景に似た光景を見たときや、その光景が夢に出てくると、何か、心が波立ってくる。
ぼくも、50半ばまで生きているけど、25,6から、仕事ばっかりしていたから、人に自慢するようなものは、あんまり見てへんけど(どろどろしたものは、仕事につきものやけど)、人が聞いたら、しょうもないといわれそうなものばっかり、心に残っているねん。
以前、東京の銀行(これは、今違う名前になっているけど)、ぼくの事業に投資しようかということになって、大勢の役員の前で、説明したんやけど、緊張して汗だくになったとき、親しい担当の人が、まだ、4月ごろやったけど、ぼくの姿を見て、見かねたんやろな、「今日は、暑いですね」ゆうて、自分の上着を脱いでくれたんや。そしたら、役員らみんなが、脱ぎはじめてん。ぼくは、胸が詰まって、しゃべられへんようになったことがある。
また、大阪のある川沿いをジョギングしていたら、夫婦やろな、奥さんが、沖縄楽器の三線(さんしん)を弾いていて、主人が、奥さんのひざに寝転んで、沖縄民謡を歌っていたことがあった。その横を通ったけど、妙に感動したわ。
それから、これも大阪の難波を、車で走っていたら、人が行き交う繁華街の歩道に寝転んで、標識の柱に足を上げて、スポーツ新聞を読んでいたホームレスらしき男がいた。そのころ、人事の悩みを抱えていたものやから、何もかも捨てられて、ええなあとうらやましかった。もっとも、その気持ちは、すぐになくなったけど。
みんな、何を見てきたのかな。また、どんなふうに見られてきたのかな。見ること、それが、人生やな。
最近聞いた話やけど、彼女と旅行してきた男が、関西空港の出口から出てきたとき、密かに来ていた奥さんが、「あんた、何してるのよ!」と詰め寄ったんやて。男も、大声出すし、彼女も負けとらへん。「関空」中、大変なことになったらしい。もっとうまくやらんかいと思うわ。いや、いや、隠すことはできへんでも、何とかならんかったのかといいたいだけです。とにかく、当事者も、周りも、忘れられへん光景やな。フゥー・・・。