社会

   

今日も、ムーズがやってきた~あなたと漫才を~

「社会」
「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから」と、涙ながらに、社員をかばったのは、一流証券会社の社長やった。大きな会社の社長が泣くなんて、どうゆうこっちゃと、外国のマスコミなんかは書いていたけど、日本では、泣いたことは、あんまりゆわれへんかった。最近、あの社長を、テレビで見たけど、小さな証券会社を起こして、外回りしとった。人情派となっているんやな。
ところで、このごろは、「社会が悪いんであって、私は、悪くありませんから」と言いわけをする奴が多くなった。「社会が悪いからや!」ゆうて、変な事件を起こすのは、大体逆恨みしている。社会で、ええ目させてもらったこともあるやろ。
ぼくが、いいたいのは、社会と国家ゆうのは違うんやということ。国家=国は、しょうもないときがある。今のアメリカや、アメリカについていく国みたいなもんや。せやけど、アメリカ人はええなあとなるやろ、明るくて、新しいもんに、どんどんと向かっていく。ぼくも、スノーボードを考えたり、それに、帆を張ったら、どうなるんやろという、アメリカ人の発想が好きや(日本は、ロボットばっかりやけど)。
国ゆうもんは、「仕組み」ともゆえるけど、社会は、人が住む場所やと思う。ソ連が、がたがたになっても、人は、どうにかして生きていかんとあかんやろ。最近では、ロシアでは、マフィアもおるけど、イタリアのサッカーチームを持っている財閥も出てきたとゆうから、すごいもんや。
国は、「仕組み」(何かをたくらむための「仕掛け」ちがうかと思うときある)やから、法律や規則がいるけど、社会は、そんなもんはいらん。また、社会では、そんなに深い「つきあい」はいらんけど、相手の立場になるぐらいは必要やろ。
契約書には、「ああせいとか、こうしたらあかん」とか書いてある。最後には、「以上のこと以外に、何かあったら、一緒に考えよう」となる。それやったら、最後の一行だけでええんちゃんかという笑い話があるけど、社会は、最後の一行ですむところや。
数年前に、ニューカレドニアゆう国に旅行したことがあるけど、首都ヌメアがあるグランドテール島は、世界のどこにであるような街やけど(海は、むちゃむちゃきれいや)、もっと小さな島へ行くと、「世界ウルルン滞在記」で見るような風景があった。ぼくは、「イル・デ・パン」ゆう島に行ったやけど、道が舗装されてへんからたいへんやった。そこで聞いたんやけど、昔は、屋根のない、ベンチシートが両脇にあるようなバスに乗るときは、時刻表は、あって、ないようなもんやから、道に、ハイビスカスの赤い花を置いておくんやて。バスの運転手は、それを見ると、止まって、クラクションを鳴らして、待っておく。客も、じっと待っている。しばらくすると、おっちら、おっちら年寄りが来るというわけ。3分間隔で、新幹線が走る日本では、考えられへん。そんな社会やったら、誰も、ゴミを、道に捨てたり、障害者用の駐車スペースに、車を止めたりせえへんと思うけどな。

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