今年のお言葉

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「今年のお言葉」
いよいよ今年も押しつまった。今年最後のムーズや。とゆうことは、ムーズの神に捧げる言葉を一つ決めんとあかん。それで、候補を三つほどに絞った。
一つ目は、「むらむらしたら、ぎゅっと手を握るのです」や。
裁判員制度がはじまった。ぼくは最初から反対や。穏やかな生活を送っている人に、裁判官に選ばれたゆうて、血まみれの死体の写真見せるとは何事や、国家権力の横暴そのものやないか(裁判所は、「精神科医によるケアもあります」とかゆうているけど、最初から無理強いせんかったらええのや)。
そのくせ、経済事件は排除している。経済のことなんかシロートにはわからんとゆうことらしいけど、詐欺事件も、三角関係の殺人事件も、心のドロドロのから生まれたもんや(これを排除したのは、外国資本が嫌がるからとゆわれている)。
それでも、国民は、裁判所に慣れてきたのか、余裕の態度を見せるようになってきた。
先日も、強姦犯に、「テメーにはむかつくんだよお~」と毒づいた裁判員がいたようや。
そして、裁判長も、パフォーマンスをするようになった。酒井法子に対して、「これは、お芝居ではありません」と諭した。
また、ある猥褻犯に、「最後に一言言っておきます。今後ムラムラしたら、手をぎゅっと握って我慢してください」とゆうた裁判長がいた。
これを早く聞いといたら、会社を潰すこともなかった(「社長、なるべくプロと遊んでください」と注意してくれた幹部がいたのに無視してしもうたがな)。
大学の図書館に行くと、一日中判例を覚えている法学生がいたもんや(親は、弁護士にしたかったようやが、あれ見ると、アホクサと思うた)。
その言葉は、その裁判長が編みだした方法やったんやろな(そうゆえば、黒田元大阪知事は、元々弁護士やったが、文学にも興味があって、「六法全書には、恋という字はない」とかゆう意味の短歌を作っていた)。
二つ目は、叔母がゆうた「地球は丸いんか」や。
大正生まれやけど、その頃には、その事実は伝わっていたはずや(最初に考えたアリストテレスの時代から、だいぶ立っているので)。
長い間、人間関係がごつごつ角ばっていたので、この世はすべてそうやともうてしまったやな(義妹に、1億円近く持っていかれた叔母や)。
近所の知りあいに、「六甲山に行けば、それが分かるで」ゆわれたらしいので、今度ドライブに連れていってくる。
そして、最後は、「これだけでも値打ちがあるけどな~」や。
魚が好きやけど、スーパーにええ魚はない。やっぱりデパートや。それで、閉店時間に、京阪神のデパートに行くようにしている。
この前、阪神電車西宮駅のエビスタゆうショッピングセンターにある魚屋に寄った。
そこのにいちゃんの言葉や。
半額ぐらいにして、全部売ってしまおうとするのやけど、客が買わずに帰る寸前に、刺身などが入っている発砲スチロールの皿をもちあげて、しみじみゆうのや。
まるで、伊万里焼の皿を鑑定している中島誠之助のようやった。
ぼくは、それを聞いて大笑いしそうになったけど、すぐにその場を離れて我慢した(「やっぱり、神戸のそごうへ行こう」と決めたので、「にいちゃん、おもろいなあ」と声をかけると買うてしまいそうな気がしたので)。
あとで振りかえると、あのタイミング、あの表情、あのセリフのゆい方を会得するために相当年期を積んでいるとみた。
そして、この不況を乗りきろうとする勇気とバイタリティーを感じた。まさに、「ミラー・オブ・マーチャント」や。
そうゆうわけで、今年は、「これだけでも値打ちがあるけどな~」に決まった(パチ、パチ、パチ)。それでは来年。

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