生きる

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「生きる」
♪私のお墓の前で泣かないでください
死んでなんかいません
そう言える人間は幸せです
なぜなら私にはお墓がありません 
とっくの昔に死んでいるのに
私の息子は千円のお金ももっていません 
昔は羽振りがよかったのに調子に乗りすぎてすっからかんになりました
仕方なしにあの広い空をうろついています
とっくの昔に死んでいるのに♪

上のほうからへんな歌が聞こえてきたで。そのうえ、えらいオンチやから交通事故が起きるわ。みんな見上げて笑うているやないか。
昔、歳末の売り出しで商店街なんかがセスナを使うて、こんなことをやっていたな。
しかも、チラシを撒くから、子供は、畑や田んぼを走りまわって拾うたもんや。池にはまったもんもいた。
おい、おやじ、当てつけか。墓を立ててやれないことを気にしているのはわかっているやいか。
おやじは自分勝手なことを歌っているけど、秋川雅史を売りだした元歌も問題ありやで。「死んでなんかいません」と本人がゆうているのに、家族は生命保険を受けとっていないやろな。そんなことしたら、親は120才やゆうて年金をもらうのといっしょで犯罪や。
だいたい墓を作ってもうたのに、「そこにはいません」とは気ぃ悪いわ。
ぼやきの「人生幸朗」みたいなことをゆうているけど、ほんまは、「私のことを思うてくれているのはうれしいが、いつまでもくよくよせんと、自分の人生をしっかり生きなさいよ」とゆうことなんやろけど、地震や津波で、大事な人をなくした何万、何十万の人には、その声が心に届くまでは何十年もかかるやろな。
津波で妻、娘、妻の両親が行方不明となっている30代の人が自殺したと報道されていたが、さっきまで一緒にご飯を食べたり、テレビを見ていた人が急に死んだり、行方不明になるなんて受けいれられへん。
自分がそんな目にあうことを想像するだけでも胸が締めつけらそうになる。そうゆうても、死ぬのも度胸がない。毎日朝から酒飲んで泣くのが精一杯や。
阪神大震災のときに、5才の長男を亡くした母親の話が新聞に載っていた。
当時、他に2人の子供がいて、どうして長男だけを1階で寝さしたのかと後悔ばっかりしていたが、その後、もう1人生まれても悔やむ毎日やったそうな。
そして、何年も立ってから、ようやく、「自分には子供が3人いるやん。がんばらんとあかん」と自分に言いきかせることができたとゆうことや。
生きていくことは、そして、大事な人の死を乗りこえて生きていくことは、それくらい辛いことなんや。
おやじ、そのへんをうろついているおやじ、わかったか。
「日本一カッコいい男」とゆわれている白洲次郎が、「葬式無用、戒名不用」と遺言したことは有名やけど、「死んだら終わり。なんにもせんといて」とゆうもんが、案外世間体を気にするもんや。まてよ、白洲は、「墓も不必要」とはゆうてないのか。
ハカない人生にならんようにがんばっているけど、まずおやじの墓ない状態を解消するとしよか。

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