八百長

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「八百長」
「金がないなら腎臓で返せ」などと脅していたサラ金の元気がなくなり、「お父さん、借金で困っていませんか」と、朝から弁護士事務所がささやく時代になった(弁護士事務所も、客の相談に無資格者を当たらせたりしているところがあるようやから、立場がちごうても
金のことになるとおんなじことをやる)。
また、芸がない芸人は、プライバシーを売る。今さら芸人は芸を売るもんやと嘆くのではなく、テレビは舞台ではなく、井戸端になったと思えばいいのや。芸を見たかったら劇場に行けばいい(ブログとかツイッターとかは、井戸端会議どころか「ひとりごと」の道具や)。
その先鞭をつけたのが、上岡龍太郎と釣瓶がうだ話をする「ぱぺぽ」やろ。
「釣瓶ちゃんは、いつもおもろいことに出会うな。ぼくは全然ないわ」と上岡が釣瓶をうまくあやつった。
「この前、あるホテルのエレベータに乗りましたんや。中に入ったら、えげつない屁ぇのにおいや。誰かこき逃げしたなと思うていると、次の階で止まって、若い娘はんが乗ってきましたわ。
わしのほうをチラッと見たので、わしを疑っているなと思うたけど、知らん娘はんに、わしとちがいまっせともゆわれしまへんしな」てな調子や。
ところで、ぼくは、人間を二つに分けるが好きや(それで、何がわかるかと聞かれても困るけど)。
たとえば、だじゃれを一生ゆわんやつと、隙あらばゆうやつや。ときどきゆうやつはおらん。
だじゃれを一生ゆわんやつが何かの拍子にだじゃれをゆうと、「そんなつもりでは」などと赤い顔をしていいわけをする(「あっ、そう」が口癖の昭和天皇が、阿蘇を見て、「あっ、そう」とゆうようなもんや)。
おならもそうで、人前でしても平気なやつと、絶対いやなやつや。
ぼくも、つれあいや子供の前でも絶対できへん。子供のとき、「くさっ、誰や屁ぃこいたんわ?」となって、誰も認めへんかったら、ほんまに尻を嗅ぎまわるやつがいたやろ。
あれ、いややったなあ。でも尻を突きださんと犯人にされてしまうもんなあ。
今、そんなことが世間にある。ただし、突きだすのは、尻ではなく、ケータイと預金通帳や。
大相撲の八百長のことやけど、誰も、わたしがこきました。いや、わたしがしましたとはゆわへんようやな。
十両と幕下とは、金持父さんと貧乏父さんのちがいがあるようやから、みんなで助けあおうと気持ちはわかるけど、それが進化して、売買の対象になったんやろ(千代富士や朝青龍の場合は、白星の3分の2を買うていたとゆわれているけど、あれはなんでやろ?優勝すると、なんかええことがあるのやろな)。
ただし、アメリカの学者の統計によると、7勝7敗の相撲取りの千秋楽の勝率と、次の場所で7勝7敗になったときの勝率はものすごい関係があるのやて(つまり、貸し借りがあるのは明瞭とゆうことやな)。
せやけど、元々大相撲をスポーツとしたのがまちがいやったのとちがうか。
協会のほうは、相撲取りに、正直にゆえと指導してるけど、今このややこしいのを乗りきったら、定年まで大丈夫とゆう反作用が働いているやろ。
今さら、大相撲をスポーツにするのはたいへんやろ。そんなもんはアマチュアに任せといたらええのや。時代劇に真剣を使うか。そんなことをしたら、勝新太郎の息子みたいになるでてなもんや。
確かに八百長があってもみんなに迷惑かけてへん。千代富士は、体が小さいうえに、肩の脱臼ばっかりしていたので、筋肉をつけて、立派な横綱になりましたとさでええやないか(タイガーマスクといっしょや)。
社会に迷惑をかけている八百長を怒るべきや。せやけどなんやろ?
「KAGEROU」ゆう小説の場合も八百長とゆえば八百長やけど、応募者以外迷惑を受けてへんしなあ(絢香は気の毒やけど)。
ぼくが「就活」しているときは、ぼくも受けた大手広告代理店やテレビ局などには、大スポンサーや大物芸能人の子供がすっと入ったけど、あれは八百長かな?
「あほぼん」はいずれ親の会社に戻るやろし、広告を出してくれたら会社も儲かる。大物芸能人の場合もイメージが上がる(それなら、ぼくが経営者でもするやろな)。
そいつらのために落ちたわけやないし、大体ぼくの志望動機も、大手代理店やテレビ局の部長クラスになって、会社の金で新地や祇園で飲み食いすることやったからな。
大相撲を見ても、なかなかシッポを出さへんのが八百長たるゆえんやから、探すのは誰かに任せて、最近ガチンコ横綱の名声が高い貴乃花親方のように、ガチンコで生きようや。
もっとも八百長に誘われることもないけどな。

 -