歩き方占い

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「歩き方占い」
上岡龍太郎がなんで芸能界を辞めたのは今なお謎や。
動かん玉を打つゴルフなんかとゆいながらプロゴルファーを目指したり(実際アメリカの学校に行った)、行ってもまた帰ってこんようなことをようするわとゆうていたマラソンにのめりこんだり(マウイマラソンでは上岡杯を作っている)する性分やから、何か考えることがあったんやろ(考古学の本も出している)。
釣瓶に、なんで辞めますのんと聞かれて、ある日鏡をのぞくと、そこにおじいさんが映っていたので、もう潮時やと思うたとかゆうていた。
その前には、ある歌舞伎役者から、「上岡はん、首に皺ができんようにしなはれや」とゆわれたそうやから、首のマッサージをしても、顔の老化はいかんともしがたいゆうことやろか。
老化は、髪が白くなり、でぼちんが広くなり、しみが増え、顎がたるみ、とゆう総合芸術や。
ガウディほどのことはないけど、何十年とかかるから、自他ともに美男美女と思うている人は、日々とはゆわんでも、年々気が気でないやろな(津川雅彦は、若い頃はキムタクより男前やったのにと一人嘆いている)。
エグザイルのボーカルや鈴木雅之なんかは、サングラスとゆうモザイクでブサイクを隠しているけど、ぼくは、年を取るとその差は少なくなると、老化を歓迎している。
顔には、美醜とゆういかんともしがたいもんがあるのやけど、その人の性格も出ているのやないかと、みんな思うている。
「にくそい顔」とか「こんじょわるそうな目」とかゆうけど、あれはほんまやろか。
国民的作家の司馬遼太郎(故人やけど)や、「ありがとう」の浜村淳は、しゃべるとき口の半分を憎憎しく下げるけど、あれは口の構造的な原因か、あるいは「こんじょわる」が出ているのかちゅうことや。
金策に走りまわっているときは、「人相が悪うなったなあ」とようゆわれたけど、最近はブサイクで人相が悪いとゆう二重苦から、老化とゆう天の助けもあって、徐々に抜けだしているとこや。
上品な顔やとゆわれることは一生ないやろけど、ブサかわ犬の「わさお」のような顔にはなりたもんや(最近、ぼーっとしていると、「わさお」みたいな目ぃやなあとゆわれるから、金がなくとも、案外のんびりした生活ができているのもしれん)。
とにかく、みんな、他人の性格を知りたがるもんや(自分の性格は二の次で、できるなら相手に知られたくない)。
それで、顔だけでは足らへんので、血液型、星座などを使う(マーク・トウェインの日記を読むと、19世紀、欧米では頭蓋骨を測って、その人の性格を見るのが流行ったらしい。
ぼくが子供のときは、頭の渦巻きが真ん中かどうかでアホかカシコかゆうていた(先日ある人の渦巻きが、右耳のすぐそばにあって、一人大笑いした)。
そこで、もっと科学的な方法を考えたので披露するわ。その人の歩き方を見るのや。
テレビでしか見てへんけど、政治家は概して下品な歩き方をする。
片山虎之助、舛添要一、管直人などがそんな歩き方をする(ペンギンでも恥ずかしくなるような歩き方や)。
一番下品なのが、そのまんま東や。しかも、記者会見に出てくるとき、キョロキョロあたりを見渡して、腰を曲げながらピョコピョコ歩いてくる。正直にものをゆう人間とはとても思えん。
表に出る人間は、まわりのもんが注意するか、歩き方のレッスンを受けたらどうやと思うけど、顔以上に隠すことがでけへんもんかもしれん。
上岡龍太郎とそのまんま東は、10年ほど前オーストラリアのゴールドコーストマラソンですごい競争をしたけど、そのとき、ぼくも参加していて、カメラが追いかける2人についていこうとしたけど、30分ぐらいであきらめたことがある。
悔しさついでにゆうと、走り方やなくて、歩き方で判断してや。
それから、女の人についてゆうと、日本では内股歩きはおしとやかとなるけど、外人の親が自分の子供がそんな歩き方をしていると、顔をあからめて、「そんな歩き方はやめなさい」と注意をする(「どこをこすって歩いているのや」と思うらしいので、外国に行ったら気をつけよう)。
「わさお」はきりっとした顔をしていないけど、歩き方は男前や。さすがぼくがあこがれるだけのことはある。

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