田中君をさがして(5)

   

とにかく、知らなくてもいい言葉があるのは、パパには、納得できなかったが、使うのに注意しなければならない言葉があるのは、よくわかっていた。
パパの話では、それ以前から、屋根裏部屋に上がって、結婚したおばさんが残していった婦人雑誌をよく見ていたらしい。
幼稚園のとき、教室で、「妊娠」という言葉を、みんなに教えた。
「妊娠があるから、ぼくらが生まれたんだよ」。でも、それ以上は、パパにも、分からなかった。友達も、何の反応も示さなかったので、問題にならなかった。
また、担任の先生(まだ、二十歳ぐらいだった)に、「先生も、こしけがあるの?」とやってしまったらしい。
その先生のことは、パパは好きだった。姉も、妹もいなかったので、いつもまとわりついていた。
「こしけ」というのは、女の人の病気らしいが、その先生は、困って、園長先生長に相談したところ、そういうことを言い出したら、外に連れ出して、みんなで遊ぶようにと指導した。
しかし、それが、ほかの親に伝わって、パパは、要注意の園児となったのだ。
パパとは遊んではいけないと言う親もいた。
「こしけがこけしに似ていたから、思わず、好きな高橋先生に言ってしまった」。「それが、こけしに似ていなかったら、そんなことは言わなかった」と、40年以上の前のことを、まだ悔やんでいる。
「なんだか楽しそうな言葉に聞こえたからね」。
一度、言ったことは、取り返しがつかないと、ぼくに言ったのは、辛い(!)経験があったからだ。
しかし、小学生になっても、新しい言葉をおぼえることは止めなかった。
言葉の使い方も少しずつ上手になったし、普通の会話で、使ってはいけない言葉も、分かってきた。
おばさんの婦人雑誌からの言葉は、これ以上書かないようにするけど、パパの名誉のために、子供らしい(?)ことを書くことにする。
昔の田舎では、日本語の中には、英語は、あまり入っていなかった。
都会には、マンションという大きな家があって、それには、ベランダがついているのだと友達に得意げにしゃべっていた(当時の田舎では、大人も、子供も、マンションもベランダも見たことがなかった)。
絵本には、アメリカの家庭が、描かれていた。
ヨセミテ公園の大きな木のトンネルを、ものすごく大きいオープンカーで、ドライブする家族は、みな、楽しそうに、口を広げて笑っていた。
そして、家庭の中の様子は、パパをとりこにした。特に、台所用品は、何に使うものだろうというより、なんていう名前だろうと考えたのが、パパらしかった。
アメリカでは、朝、ごはんではなく、コーンフレークを食べて、ちり紙ではなく、ティシュで、鼻をかむのだ!
また、ニュースで知ったのだろう、「肩書き」のある人が、「汚職」をすると、警察に捕まる。ところで、「肩書き」て、どんなもの?と、おばあちゃんに聞いて、困らしたらしい。
また、「ロハ」(無料を意味するが、これも、あんまり使ってはいけない言葉だったのだ)という言葉を使って、先生に、こっぴどく叱られたらしい。
あるとき、「卒倒」という言葉を、下級生が使ったので、それこそ、卒倒するほど悔しかった。
パパは、「卒倒」という言葉を知らなかったのだ。気を失うのは、「気絶」しか知らなかった。
一度、小学3年で、スランプ(この言葉を、小学2年で、誰よりも早く知っていた)に落ちたといっていた。
自分のことは、みんなと同じように、「ぼく」といっていたけど、それは、あまりに幼いような気がした。
なぜなら、昔の田舎では、「ぼく」という言葉を使っている大人はいなかったからだ。
しかし、「わし」は大人すぎるし、その頃の映画のように、「おれ」や「おいら」を使ったんだけど、しっくりいかなくて、それで、友達と、しばらく話ができなくなったようだ。
パパも、子供のときから、言葉については、誤解されたり、悩んだりしたようだ。
ぼくも、パパから話を聞いて、狭い場所から、パッと外に出たような気がした。

だから、この物語を、正直な気持ちで書き始めることができたのは、パパのお陰だ。
パパが、自分のことを話してくれなかったら、美奈子との「事件」を黙っているか、「なぜ、怒っているかわからない」などとごまかしたかも知れない。
なにか恥ずかしいし、この話とは関係ないと考えたかもしれない。
しかし、そうすれば、心が閉じ込められたようになり、出会った多くの人たちのことも、ちゃんと書けなかったかもしれない。
それ以上に、一生懸命考え、行動したパパに申しわけないし、一緒にいることが、苦しくなったかもしれない。
なにより、自分の心を、ちゃんと見るようになったから、美奈子のことを書くことが大事だと分かった。
もちろん、パパの仕事が順調であったら、ここまで深く話しことはなかっただろうし、「冒険」にも行かなかっただろう。
人生の中身は、こんなきっかけでできているのかもしれない。きっかけで冒険して、きっかけで人と出会う・・・。
とにかく、親子だから、似通ったことをして、大人になるのだろうか。

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