シーラじいさん見聞録

   

アントニスは、その声で我に帰り、「はい」と大きな声で言った。
「あなたの甥御さんはどうじゃな?」シーラじいさんは穏やかに聞いた。
「はい、病室でボーッとしています。ぼくが声をかけてもわからないときがあります。
医者は、体のどこも悪くないので、何かのきっかけで、元に戻るはずだと言っています。それで、連れてかえろうかと思っていますが、あの子は親兄弟がいないので、ぼくしか面倒を見るものがいないのです」アントニスは、暗い表情で答えた。
「うーん、そうだったか。ニンゲンの子供は、たやすく魔法の世界に入ることができるが、自分でこれはほんとじゃないとわかって、また現実の世界に戻って、だんだん大人になっていくと聞いておる。
しかし、今回は、突然別の世界に連れこまり、また突然引きもどされたので、心がついていかないのかもしれないな。わしらにも責任がある」
「大人のぼくでも、この世には、自分が住んでいる世界と、シーラじいさんやオリオンたちが住んでいる別の世界があるのだと、自分に言いきかせているのです。そう思わないと、イリアスと同じようになってしまうような気がします」
「甥御さんはイリアスというのか?」
「はい」
「イリアスには悪いことをした」
「いや。イリアスはぼく以上に大きな経験をしているし、好奇心も強いですから、自分を取りもどせば、友たちのオリオンを助けようとするかもしれません」
「それは心強いじゃ」
「ぼくも何でもします」
「助かる。何分わしらは陸には上がれないからな」
「今何をしたらいいですか?」
「カモメが、何か情報をもって戻ってくるから、それから考えよう」
「カモメも英語が話せるのですか?」
「いや、わしらにわかる言葉だけじゃ。ほとんどのものがそうじゃ。明日も来てくれないか」
「わかりました」
アントニスはボートを漕いで岸に向かった。リゲルたちは、すぐにシーラじいさんの元に向かった。
「どうでしたか?」リゲルが聞いた。
「わしらを騙そうとしているようではないな。明日も来てくれるそうじゃから、もう一度様子を見よう」
みんなは安心して帰った。その時、ベラがシーラじいさんに近づいた。
「シーラじいさん、わたしにニンゲンが話す言葉を教えてください。オリオンを助けるためには、今後もニンゲンの協力が必要と思いますから」
「そうじゃな。それを聞いたら、オリオンも喜ぶじゃろ。それじゃ、少しずつ教えるから、あせらずにおぼえることじゃ」
「ありがとうございます」
それから、ベラは、ずっとシーラじいさんのそばにいて、シーラじいさんが話す英語を、一言も逃さないように聞いた。
翌日も、シーラじいさんは、リゲルたちに守られて、昨日の場所に向かった。
前もって岸の様子を調べていたペルセウスは、ボートに2人いるのに気づいた。あの子供だ。退院したのか。すぐにシーラじいさんに報告した。
シーラじいさんは、「わかった」と言った。そして、ゆっくりボートに近づいた。アントニスは、海面を見ていた。そして、イリアスに何か言っていた。
「来てくれたな。イリアスもいっしょか」シーラじいさんは声をかけた。
「あれから病院へ行って、イリアスを退院させました。海にしか、元に戻るきっかけはないと考えたからです」
「そうじゃな」
「ボートに乗せてから、イリアスの目が輝きはじめましたから、シーラじいさんのことを話していたところです」
確かにイリアスは、シーラじいさんをじっと見つめていた。そして、アントニスに何か言った。「オリオンはどうしたの?と聞いています」アントニスが言った。
「オリオンのことを思いだしたのじゃな」
その時、1羽のカモメが急降下してきた。カモメは、ニンゲンがいるのに気づくと、あわてて飛びあがった。
シーラじいさんは、「大丈夫じゃ。このニンゲンも、あなたたちが戻るのを待っているのじゃ」と叫んだ。
カモメは、それを聞いて下りてきた。そして、「遅くなりました。みんなで交代で監視を続けていますが、その後、トラックが出ていくことはありません。しかし、気になることがあります」
シーラじいさんは、カモメを見た。
「死んだイルカやシャチ、クジラが海に捨てられます」
シーラじいさんの顔が変わった。
「その家は、海岸近くの崖の上に立っていますが、時々、崖の下が開いて、大きなトラックのようなものが出てきて、海に向かいます。
トラックはそのまま海に入ります。すると、沖のほうから船が近づき、大きな機械で荷物を積みます。
そして、沖に戻ると、荷物を開いて中のものを捨てます。それが死体なのです。わたしらは海面まで下りて、沈んでしまわないうちに、オリオンじゃないか急いで調べます」
「そうか」
「今のところオリオンはいませんが、傷ついた死体を見るのは辛いものです」
アントニスは、心配そうに聞いていた。意味はわからないが、カモメの声で、何かとんでもないことが起きたのにちがいないと思ったようだ。
シーラじいさんは、アントニスに話した。
アントニスの顔は、みるみる青くなった。そして、「そこを教えてください。すぐに行きます」と叫んだ。

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