シーラじいさん見聞録
わたしたちも、荒れ狂う波に飲みこまれないように注意していたが、シーラじいさんが危ないということで、思わず海面に近づいてしまった。激しい波にもまれて、気分が悪くなる者も出てきた。
今日は、山口、高橋、小川、そして、私を入れて、4人だった。
他の人は、海が荒れることを聞いていたので、マダガスカルのホテルで待機していた。
しかし、この状態では、ホテルまで帰ることができないので、海の下に向った。
20メートルぐらいまで行くと、水の動きはようやく収まり、あの激しい風の音も聞こえなくなった。
サイクロンは、台風やハリケーンと同じく熱帯低気圧だ。アフリカの近くでは、ひどい熱帯低気圧はならしいが、これほどとは思わなかった。
シーラじいさんとは、もう生きていないかもしれないというのが、みんなの意見だった。
シーラじいさんは、眼が覚めた。そして、あたりを見ようとしたが、目が開けられなかった。目をひどく痛めていたのだ。
自分がどうなったのか、今どこにいるのかわからなかったが、死んだのはまちがいないと思った。
海の上に行くと「海の終わり」あると昔から聞いていた。それは、自分たちがいるところから出てはいけないということを教えるためだったかもしれないが、横に行っても、「海の終わり」があるとはな。
ゴーゴーという風が、海の上を吹きわたり、それにつれて、波が高くなっていく。
その波から逃れようとしたが、体は、激しい波にもてあそばれたようになったことしかおぼえていない。
わしは、「海の終わり」をまっさかさまに落ちていったのだ。
しかし、ここは、なんと穏やかなことだろう。
ここにも海があるようだが、この波は、母親が子供をあやすように、わしを抱きかかえ、慰めてくれているようだ。
死ぬことも、そう悪いことではないな。
国から出たとはいえ、わしは、できるだけのことをして生きてきた。4億年前の祖先が、ここに来ても、恥ずべきことは何もない。
シーラじいさんは、痛みに耐えて、目を開けようとした。すると、損傷の少ないほうの右目が少し開いたので、あたりを見回した。
自分のまわりは、暗くて、よく見えなかったが、やはり海が広がっているようだった。そして、上のほうに目をやると、まばゆい光が見えた。
じっと見ていると、一つに見えた光が、だんだん分かれていき、無数の光になった。
これは、夜空に広がる星座じゃないか。どうしたんだろう。
そのとき、ウオッー、ウオッーという物悲しい声が聞こえた。
それは、誰かに助けを求めているような、自分の悲しみに堪えられなくなったような響きがこもっていた。
心がやっとたどりついた場所で、なぜ、あんな声を出すのだろうか。ひょっとして、親より早く死んでしまった子供が、親を呼んでいるのか。
シーラじいさんは、それは気の毒だと思い、声が聞こえるほうへ行こうとした。体が激しく痛んだ。相当体を痛めたようだ。それでも、のろのろと声のほうへ向った。
しばらく行くと、遠くに、黒々した影が見えた。子供にしては大きそうだ。悲しそうな声は、大きくなってきた。
「ぼうや、どうした。おじさんが行くまで、そこで待っていろ」と大きな声で呼びかけた。思うように進まないので、とにかく声をかけて安心させようとしたのだ。
しかし、ウオッー、ウオッーという声は、暗闇の中で響いていた。
ようやく近づいてみると、その影は、シーラじいさんぐらいあったが、その声から判断すると、まだ小さな子供のようだった。
そのとき、また別の影が近づいてきた。
その大きな影は、「また会いましたな」と声をかけてきた。
あのウミガメだと気がついた。
「ああ、あなたも、あの嵐で、ここに来たのですか」
「長年、ここにいるが、あんな嵐は初めてじゃった」
「わしも慣れていないので、波に飲まれてしまったようで」
「大勢死んでしまった」
「こんな子供も亡くなったのは気の毒なことです」
「この子供は死んでいないぞ」
「でも、わしらは死んでいるのではないですか」
「何を言っている」
「でも、こんな静かになっている」
「嵐が終わったのだよ」
「ここは極楽ではないのか」
「あはは、嵐が終わったのは、まあ、極楽といえば極楽じゃな」
ウミガメは、さも愉快そうに笑った。その笑い声は、子供の悲しい声に負けないほど、暗闇の中で響いた。
「そうでしたか。わしは、てっきり『海の終わり』に落ちて、死んでしまったと思っていたが」
「海にも終わりはないぞ。ここをまっすぐ行けば、いつか反対側から、ここにもどってくるのが海じゃ」
「海は、丸い入れものにあるのは知っていたが」
「わしらの仲間は、何年もかけて、海を回っている」
「それなら、わしは遠くまで来てしまったのか」
「かなり遠くまで流されてきたが、帰れないほどではない」
「それじゃ、この子供はどうしたのです?」
「家族とはぐれたようだ」
「わしの仲間や他の仲間の子供が、何十匹と迷子になってしまってな。わしは、仲間と連絡をして、親を探した。
今日は一日、親探しにてんてこ舞いじゃった。みんな見つかったのに、この子の親があらわれないので、心細くて泣いているのだ」
「道理で切ない声で泣いていたのだな」
その子供は、シーラじいさんとウミガメがしゃべっているので、少し気がまぎれたようで、おとなしかったが、影からも、悲しみが体中にあふれているようだった。
「今度の嵐は、近年にない大きなものだった。わしらは、お前さんが最初に向おうとしていた島の近くに住んでいるが、嵐は、その島を直撃したので、わしの家族が心配なので、早く帰りたいのだがな」
「それじゃ、わしがいましょうか」
「しかし、お前さんは、早く国に帰らないと」
「どの島か教えてもらったし、国に帰っても待っている者もいないので、もう少しゆっくりして、みやげ話をどっさり持って帰ります」
「そうか。用事がすんだから、すぐにもどってくるから、それまで頼むとするか」
そういうと、ウミガメは、するりと姿を消した。