シーラじいさん見聞録

   

そこには、マグロのような形の影がぽつんと浮かんでいた。
誰かが、「あれはイルカだな。種類はよくわからないが」と小声で言った。
イルカは、クジラの仲間だが、どちらも声を出して、食料を探したり、コミュニケーションをしたりしているといわれている。
カリカリという音で、物の形状を判断するクリック音と、ピーピーという音で、仲間と連絡を取りあうホイッスル音を出すことは、わたしも知っていた。
しかし、ウォー、ウォーと悲しそうに泣くのは初めてだった。
クジラの仲間は、大昔陸上に上がったことがあるために、そういう能力が身についたかどうかは知らないが、かなり知能はあるようだ。
海の主ともいえるウミガメから聞いたところでは、この子供のイルカは、家族とはぐれたらしいから、声を出して、親兄弟を必死で探しているのはまちがいがない。
しかし、嵐も止み、波も静かになっているから、その声は、驚くほど遠くまで届いているだろう。
同じように迷子になった子供は、すぐに親が駆けつけたというから、この子供もすぐに会えるだろう。
それで、シーラじいさんも、「もうすぐみんなが迎えにくるからな」と慰めていた。
しかし、そのイルカは、シーラじいさんに返事をせずに、またウォー、ウォーと声を上げはじめた。
シーラじいさんは、これは泣きじゃくっているのではなく、「ぼくはここにいるよ」と連絡を取っていることがわかっていたので、何も言わず横にいた。
疲れていたが、約束した以上、ここを離れるわけにはいかなかった。
何かきらっと光ったようだった。シーラじいさんが薄目を開けると、遠くの水平線に太陽が出る瞬間だった。
朝になったかと思うまもなく、オレンジ色の光が、何もさえぎるものがない大洋に一気に広がっていった。
やがて、無数の波に反射する光が、目を開けておられないほどまぶしくなった。
あまりにも疲れていたのか、浮かびながら、うつらうつらしたようだ。
シーラじいさんは、昨夜のことを思いだして、あたりを見渡した。
子供のイルカは、オレンジ色に染まって、まだそこにいた。
イルカは、どんなときも穏やかな顔をしているものだが、そのイルカは、穏やかな顔の中にも、子供らしく幼い表情をしていた。
「親は来なかったのか?」シーラじいさんは声をかけた。
しかし、返事をしなかった。
「そいつは困ったな」独り言のようにつぶやいた。
「あのウミガメのじいさんが、できるだけ早くもどってくるといっていたが、それまで待つべきか。
しかし、この子供も辛いだろう。
どこか島に行けば、誰かに聞けるかもしれない。
しかし、どこを見ても、何も見えない。ただ、海が広がっているだけだ。
わしらは、相当流されてきたのだろうか。じいさんに、ここはどこか聞いておくべきだったな」
シーラじいさんは、近くをゆっくり動いているイルカに声をかけた。
「ぼうや、おまえの家族を探しにいこうか。ここにずっといたのに会えないのは、遠くで、おまえを探しているかもしれないからな。
どこかに島があれば、大勢集まっているはずだから、わしが聞いてやるよ。
しかし、わしは年を取っているし、今度の嵐で、だいぶ体を痛めてしまったので、早く動けない。
だから、足手まといだと思ったら、先に行ったらいいぞ。話し相手ぐらいにはなれるがな。もっとも、としよりの話はおもしろくないだろが。わっはは」
シーラじいさんは、このイルカの励まそうと、少し饒舌にしゃべった。
そして、思い切って泳ぎはじめた。
イルカは、シーラじいさんの考えがわかったのかついてきた。
イルカは、子供とはいえ、家族といるときは飛ぶように泳ぐことができるが、シーラじいさんに合わせた速度で泳いだ。
シーラじいさんが疲れて休むと、どこかに行った。ウォー、ウォーという声を出しているのが聞こえたが、しばらくすると、また帰ってきた。
休みながら、遠くを見たが、島影と見えたものは、人間が作った船であることはわかるようになっていた。それは、かすかに動いていたからだ。
何回かそのようにして島を探しつづけた。
途中、誰かに聞こうにも、小さな魚は近づかないし、大きな魚は、急いで通りすぎていった。
シーラじいさんは、立ち止まって、イルカのほうに振り返った。
「わしは、どうもあわてすぎたようだな。『過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し』という言葉があるから、ここは、少し考えたほうがいいかもしれないぞ」
「そこで、日も暮れてきたことだし、今日はここまでとして休もうじゃないか。明日は、いいことがあるかもしれないからよ」
「おまえは、疲れていないのか。どこかに浅い海底があればいいのだがな」
すると、イルカは、勢いよく海にもぐっていった。
数分すると、「見つかった」というようにシーラじいさんのほうを見て、うなずくようにした。
シーラじいさんは驚いたが、イルカについていった。斜めにもぐっていくと、海底火山のようなものがあった。
頂上には、岩場が広がっていた。
「よくわかったな。すまないが、しばらく休ませてもらうよ」
そういうと、体を岩に乗せ、すぐに眠りについた。
しかし、イルカは、またもどっていった。

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