シーラじいさん見聞録

   

オリオンは言葉を失った。しばらくしてから、ようやく「まさか」という言葉を口に出すことができた。
今までも、ボスのことでひょっとしてと思うことがあったが、すぐに、まさか、そんなことはありえないという言葉がそれを打ちけした。
しかし、今度は目の前にいる少年が、このあたりで大きな者が死んだと言うのだ。
オリオンは、自分を励ますかのようにもう一度は「まさか」と言った。
クジラを攻撃するためには、ニンゲンは、特別の船から網がついた銛(もり)を発射して、身動きできなくさせるということを聞いている。ニンゲンといえども、海の王、地球の王を正面から相手にすることはできないのだ。
ミラの話では、潜水艦から発射されたものはものすごく早かったが、そんなに大きなものではなかったし、網もなかったということだ。
しかも、銛が刺さっても平気なクジラはいくらでもいるというのだ。
シーラじいさんから「「白鯨」というニンゲンが作った物語を聞いている。モービィ・ディックと名づけられた、その巨大なクジラは、彼をつけねらうニンゲンを問題とせず海に沈めた。それは現実でない話であっても、ありえることなのだ。
しかも、ボスは向かってきたクラーケンを相手にしていたが、ニンゲンに危害を加えようとしていなかった。
この少年が見たのは、ボスではなく、別のクジラにちがいない。
「きみは見たのか?」オリオンは聞いた。
「見た」
「どんな様子だった?」
「ぐったりしていた。最初は怖かったので、遠くから見ていた。しかし、動かないので、大人について近づいた。見上げるほど大きくて、友だちとそのまわりを回ってみた。ぼくらの何十倍とあった。島のようだった。
じっと目を閉じて静かにしていた。しかし、大人の話では、急に潮を吹くことがあり、それから海に潜ることもあったらしい。
しかし、また戻ってくるのだ。大人は、仲間の助けを待っているかもしれないで、子供たちは近づくなということになった。ぼくらは別の場所で遊ぶようになった」
「それで?」
「大人の話では、しばらくそのままだったが、だんだん弱ってきて潜ったまま上がってこなくなったということだ。でも、どうしてそんなことを知りたいの?」
「いや、ぼくもそんな大きな者を近くで見たことないから」
「そうか。ママが心配するので、ぼくはもう帰らなくてはならない。きみも早く帰ったほうがいいよ」
「ありがとう。気をつけて」オリオンは少年を見送りながら、あの少年が見たのはボスだったのかもう一度考えた。
シーラじいさんは、いつも、「そうであれば」と思って物事を見るなと言っている。そうしなければ、最善の方法を見つけることができないからだ。
オリオンは、少年の話をもう一度思いだした。ここでぐったりしていたと言っていた。
クジラは、地球で一番大きい者というだけでなく、地球の端から端まで動くことができるのだ。一日に途方もなく移動することができる。
ミラの話では、ボスは打たれた後、ミラが追いつけないほどの勢いでどこかにいった。
ボスの能力なら、城からここまで一日もかからないはずだ。急に弱ることなぞありえない。
やはりあの少年が見たのは、ぼくらが探しているボスではない。オリオンはそう結論を出すとほっとした。
そして、あたりを見ると、波が赤く染まりはじめていた。遊んでいた者は、みんな小さくなっていく。みんな家路に急いでいるのだ。
オリオンは、もっと話が聞けないかと思い海に潜った。
しかし、誰にも会うことができない。オリオンはそこで休むことにした。翌日も快晴で、海はきらきら輝いていた。
やがて、子供たちの歓声が聞こえてきた。今日も遊びにきたのだ。子供たちの近くには必ず親がいる。親にもっと話を聞こうと近づいた。
しかし、オリオンに気がつくと、親たちは、自分の子供を呼び、すぐにどこかに消えた。
オリオンは仕方なくまた海に潜った。
どんどん進むと光がだんだん届かなくなり、暗黒に海が広がっていた。
海は広いだけでなく深い。そして、それぞれの場所には、そこに適応した者だけが生きている。
だから、同じ場所でも、その下に行けば、新しい話が聞けるかもしれないのだ。
少し苦しくなり、上がろうとしたとき、「どうした、坊主?」という声が聞こえた。
多くの足で立ちどまって、大きな目でオリオンを見ている。どうやら大きなタコのようだ。
「おじさん、最近変わったことはなかったかい?」
「どんなことだ?」
「大きな者がいたとか」
「よく知っているじゃないか」
「下の連中は大喜びだろうよ。当分は食べ物を探す必要がない。当分平和な世界が続くだろうな」
「えっ?」
「衣食足りて礼節を知るとはよく言ったものだ」
「大きな者が食べ物となって沈んでいった」
「どこですか?」
「もう少し向こうだ。おまえもご相伴に預かりたいのか?」
「いいえ、海の王といわれる者でもそういう日があるのかと思ったもので」
「おまえはまだほんの子供のようだが、なかなかの者だ。もっと世の中を見たら、立派な大人になる。また、どこかで会おう」
大きなタコの老人は、そういうと、一気に足を蹴って泳ぎだした。
オリオンは、リゲルと約束していた場所に向かった。

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