終活サービス

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復活ノート

「終活サービス」
「就職活動」という言葉は以前からありましたが(ただし、今から50年ほど前の私の現役のときは使っていなかったような気がします)、最近ではその「就職活動」が「就活」と略されて学生の最大の関心事になっています(規定より早く、実際は大学3年の春からすでに企業側は学生とコンタクトを取ろうとしているようです)。
そして、「就活」という言葉が社会に定着すると、すぐさま「終活」という言葉が使われるようになりました(何しろ65才以上の高齢者は人口の30%近くいるのですから、「就活」より「終活」のほうがよく使われているはずです。「あんた、どんな終活をしているの?」というように。
私はですねえ。友だちがいないので、そんな話はしたことないですが、数年前は不整脈がひどくて、明日の朝は目が覚めないのではないかと思いながら眠る毎日でした。
しかも、自分の身の回りのことだけでなく、空き家になっている実家も亡くなった両親や弟の私物で「ごみ屋敷」寸前でしたからあせりました。
さらに、生き延びたとしても、田舎の空き家が地震や台風などで倒れたりしたらどうしたらいいのだろうと案ずる毎日でした(「家の回りや畑の草が伸びて近所迷惑だ」というクレームも田舎から来ますしね)。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり、です。実家がある市が、人口減少を食い止めるための施策として、空き家を売ったり貸したりする行政サービスをしてくれていたのです。
家と田畑を貸すことを決めると、案外簡単に入居者が決まりました。今では月4万円の家賃収入があります(まさか大正時代に28円でできた家がお金を生んでくれるとは。年金生活者にはありがたい話です)。
また、私が死ぬと商売は終わりますが、それにもお金がかかりますので、死亡保険に入ることにしました。
もちろん生命保険には入っていますが、女房は商売にはノータッチなので、死亡保険でスタッフがすべて後始末してくれるようになっています。大きな「終活」は目途が立ちました。
今度は緑内障になってしまい、レーザー治療などを受けていますが、大きなストレスがなくなったので、気分は爽快です。
「終活」は生きるためのエネルギーの元です。つまり、「終活」は、「生活」なのです。
幸い、私の場合はうまくいったのですが、もっと複雑な状況になっている人も多いでしょう。
とりあえず65才の人の「終活」を65才以上の人でサポートしましょう。
経験のある人のアドバイスで勇気がわきます。あの苦しさは心身を痛めつけます。最後までよく生きたというのが「終活」の目標ですから。