社会
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復活ノート
「社会」
「すべての幸福な家庭はよく似ているものだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」と、トルストイは、「アンナ・カレーニナ」の中に書いていますが、「幸福になるのは時間の積み重ねがいるが、不幸になるのは一瞬である」というのはどうでしょう。
宝くじで億万長者になれるのは一瞬のように見えますが、ビギナーズラックは天文学的な確率でしょうし、多くの億万長者は、長い時間と相当の資金を貢いでいるはずです(事業なら、なおさらです)。
また、重大な病気も、長年の不摂生の結果ではあるでしょうが、事業などの失敗をもたらす重大な決断は一瞬で決まることがあります。
その一瞬に備えての日頃の心構えが足りなかったわけですが、事業での復活をめざす人も、別の道を進む人も、それが自分の欠点だということは忘れないことです。
特に老齢にさしかかった人は要注意です。老化という現実負けてしまいがちです。しかし、50才、60才でも、人生はかなり残っています。
体の不調があると、すべて投げだしたくなりますが、不調なのは体の一部なのですから、なんとか気持ちが萎えないように工夫すべきです。それに、体も年に馴染んできます。
私も、心臓が弱ったことを何度も書いていますが、今は不整脈も収まり、突然死しないだろうかという不安も消えています。
眼圧も、目薬のおかげで、目医者がびっくりすような数値は出なくなっています(「老眼は自分で治せる」という本を買って、近視の手術を受けたときの視力に戻ることを目標に、毎日目のトレーニングです。両目で50万円かかった手術費用を取りもどそうと必死です)。
もう社会についていけないと思うことは禁止です。去年から、スマホに取りくみ、大体のことはわかります(ネットで、独自のプログラムを発表している若い人がいますが、そんなことはできませんが、素人が素人に教える程度で)。
私も、「最近のことはどうも・・・」と思うようになっていましたが、これで、社会の一画に食い込んだと思えるようになりました。
さらに、最近、パソコンがわからないという若い人が増えてきたそうです(サラリーマンはそうではないでしょうが)。
「スマホ命」の結果でしょう。パソコンが、マッチが使えない。急須でお茶が入れられない。ナイフで鉛筆が削れないの仲間入りになったのです。
こっちは、パソコンをマイコンと呼んでいたときからのベテランです。会社では、フロッピーを差し替え差し替えしながら使ったものです。しかも、入力する納品書は日付順でないと狂ってしまうので細心の注意を払ったものです。
どこか痛いぐらいで、自分を転校生のような思いをすることはありません。社会がどんどん変わっているのです。
社会全体を相手にしようとするから、気後れするのです(それは若いときといっしょです)。
社会には、波が立たない場所もあるし(人間の生存そのもののように)、しばらくすると戻ってくる波もあるし、永遠に戻らない波もあるのです。
波の見極めが、人生においても、ビジネスにおいても大事なことです。そうすれば、自信がつきます。だからと言って、スマホのアプリ屋はしませんが。