家庭を作る

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復活ノート

「家庭を作る」
「すべての幸福な家庭は、よく似ているものだが、不幸な家庭は、それぞれに不幸である」とは、トルストイの有名な言葉です。
確かにそういうことでしょうが、何が不幸で、何が幸福なのかとなるとどうでしょうか。
世間が、「人並み」にも見なくて、満足している人がいるでしょうし、「人もうらやむ幸福」でも不満をもっている人もいるでしょう。
また、世間が「あんな病気になって」と思っても、「病気なってよかった」と思う人もいます(もちろん、長い時間がかかるでしょうが)。
また、昔とちがって、「家庭」を、最小単位として考える人が少なくなってきました。
それなら、「すべての幸福な人は、よく似ているものだが・・・・」のほうが、現代的なのかもしれません。
しかし、家庭というものは、昔と比べたら、不安定な存在になっているようですが、人は、そうそう家庭から離れられません。
最近、かなり知っている2軒の家庭のことでいろいろ聞いたので、そんなことを考えています。
1軒は、夫婦と小中学生の子供が2人いる家庭ですが、主人は、最大手の運送会社に勤めていますが、最近、給料が30万から15万に引きさげられました。
それでは食べていけないので、建設業を営んでいる義父の誘いで、関東のほうに単身赴任をしました(震災の仮設住宅で忙しいようです)。
義母が病気なので、義父が弁当まで作ってくれるそうですが、目の前で、気に入らないおかずをゴミ箱に捨てるというのです。
また、もう1軒の主婦には4人の子供がいますが、程度の差がありますが、全員障害があります。
障害児に目を向けさせるブログを開設していますが(私もときどき読んでいます)、「裏ブログ」と称するものがあって、そこには、子供を同じ障害児施設に行かせている、ある親のことをこきおろしているのですが、それが、差別用語のオンパレードで、その親がそれを読んでお騒ぎになっているようです(何回もそんなことをしているようで、さらに本人は保護司もしています)。
2軒の家と彼と彼女を取りまく状況はもっと複雑なのですが、これ以上は言いませんが、
こういうことをするのは、家族にすまないとか、将来に不安があるとかの思いが、本人が耐えられる限度を越したからでしょう。
昔のアルゼンチンや今のギリシャのように、国家の場合は、とりあえず世界が助けてくれます(自分たちを守るために)。
また、法人といわれる企業も(特に大企業は)、手を差しのべる法律がありますが、家庭は何もありません。
わかっているのですよ、国や社会が、問題がある家庭などに口を出すことはないし、そんなことをしてもらうと気持ちが悪いことを。
また、誰でも、家のことを世間にぐちゃぐちゃ言うことはしません。
それなら、家庭で思いつめている人を、ホッとさせたり元気を出させたりするビジネスはありませんか。
本来、家庭は幸福の源です。しかし、今ワーキングプアは、若い女性が多いといわれています。
日本再生は、家庭が増え、問題が出てくれば、それを乗りこえる家庭が増えることからです。