
GDM
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復活ノート
「GDM」
60を過ぎた今、親の希望通り教師にでもなっていれば(昔流行った「でもしか先生」という字句どおり)、今頃は、退職金と年金でのんびりした余生が送れたのにと思うことがあります。
しかし、教員研修に行った学校での校長派と教頭派の戦いにすさまじいものがありました(派閥争いだったのかどうかは知るよしもありませんが、当時の日教組活動は元気がありました(今は日教組に入る教師は少ないようですから、仲間割れなどしていると、どこかの市長につけこまれてしまします)。
とにかく、教師は自分には合わないと思いました。それ以上に、男なら事業家をめざすべきだと思いこんでいましたので、数年サラリーマンをして、起業しました。
今も、若者には、民間か(事業も含む)、公務員かは、大きな選択肢ですが、最近の社会的・経済的状況が原因で、多くの若者が公務員をめざしていると思います(とりあえずと考えている人もいるでしょうが)。
少子化の影響で、教員募集が少なく、多くの府県の教員試験を受けることが常識になっていますが、今度は国家公務員の削減です。
例年の半分強(56%)を削減するというのですから、若者のショックを大きいでしょう。
それでも、国家公務員の予算3兆円以上ですが、削減額は100億円程度らしいです。
つまり、定年の延長をするのです。「若者いじめ」という言葉も聞こえてきました。
日本には、電気エネルギーは逼迫(ひっぱく)していますが(「隠れ電力」があるということも言われています。電力会社と国が隠しているのです)、人的、特に若者のエネルギーは十分あると言えませんか。
しかも、このエネルギーは、電気エネルギーと同様に保存ができません。だから、若者エネルギーを、今すぐ復興に向かうように使うべきです。
自分のことを考えた場合も、何かトラブルが起きると、それに耐えるだけでも多くのエネルギーを使います。
しかし、とりあえず、こうしよう、ああしようと決めると、肩の荷が少し軽くなったように思います。つまり、方向が決まり、エネルギーが流れだしたのです(流れさえできてしまえば、エネルギーに勢いがつくようです)。
だから、国が率先して、若者に仕事のチャンスを与える、また税金を安くする(事業資金も好条件で貸す)などをして、国家再生を託せばいいのです。
「家計が苦しいが、これをやるから、しっかり勉強してこい」と親に言われたら、誰でも孝行息子になろうと努力するのです。
ただ、GDM(国内総人的エネルギー・私の造語)にもリミットがありますから、困難が手に負えなくなる前に、そうすべきです。
経営に苦慮している経営者も、若い社員のエネルギーがどんどん流れるようにするべきです。
もちろん、中高年の社員にはエネルギーはないとは言っていませんが、今は、若者特有のエネルギーが必要です。そして、どこに向かわせるかは、経営者の資質です。