時間

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復活ノート

「時間」
今の小学生でも、修学旅行の前夜は眠れなくなるものでしょうか。物心もつかないときから、ハワイだ、ディズニーランドだ、USJだと親が連れていく時代ですから、地味な場所ぐらいで興奮はしないだろうと思いますが。
大昔の田舎の子供であった私は、日頃9時には寝ていましたが、修学旅行のカバンを枕元に置いて、さあ寝ようとしてもいつまでも寝られなかったことを思いだします。
そのくせ、早く「その日」が来ないかなあと思うと、なかなか時間は進まないのです(そうか!ようやく来たといううれしさが興奮となってあらわれるのですね。
それ以来、待ちこがれるということはいくらでもあったのでしょうが、あの修学旅行の前夜がスタートで、しかも強烈な印象として残っています。
逆に、その日が来てほしくないということもあります。春ごろでしたか、ある旅行代理店の営業社員が、高校の行事で使う観光バスの手配を忘れて、「旅行に行ったら、ぼくは消えます」とかいう手紙(これも脅迫文ですか)をその高校に送った罪で逮捕されましたが、「その日」がどんどん近づいてきたので、こんなことを考えたのでしょう。
私も、会社を閉じたときは、行政、保証協会、銀行、そして裁判所とあちこちから呼び出しを受けました。
少し休みたいと思っても、次から次への「その日」が来るので、死んだら、「その日」は永遠に来ないと思うこともありましたが、「無い袖は振れぬ」、「取れるものなら取ってみろ」と開きなおると、少し楽になりました。
「嫌なこと」であっても、命まで取ろうとしないのに、近づいてくる速度におびえてしまうことがあるかもしれません。
私たちが過ごしてきた時間とは、原子時計で決められたものではなく、各自が、楽しみなもの、嫌なものの待つときの心の動きで感じたものかもしれません(だから、自分の人生は長かった、短かったと、両方感じるのかもしれません)。
ぼくも、今となっては、「もう少し資金があれば」と思うことよりも、「もう少し時間を大事にしていれば」、失敗しなかったかもしれないと思うことがあります。
もっと具体的に言えば、個別のものが近づいてくる(あるいは、それにこちらから近づく)時間の速度を甘く見たり、恐れたりせずに、冷静に準備することです。そうすれば、限られた時間をうまく使えるようになるのです。
最近、胸が詰まることが増えたので、病院に行きました。心臓弁膜症になっていて、それが心房細動を起こしているという見立てでしたが、60年、70年と使っていると、どこかにガタがくるものです。
血栓さえ気をつければあわてることはないようですが、血圧降下剤は飲まないようにしているのに、血栓を溶かす薬を飲まざるをえなくなったのは残念です、
昨日(6月28日)の朝日新聞日曜版には、名優杉村春子の言葉が載っていました。
90近くまで舞台や映画に出ていましたが、「今日しかない。昨日も、明日もない」と自分に言い聞かせていたようです。
私は、最近は何でも甘く見てしまうので、病気をもう少し重大に考えて、この言葉のような生き方をしたいとは思います。