自分の性格

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復活ノート

「自分の性格」
人生は、いろいろな因子の集合体です。親の経済力や人間関係、その時代の状況などいくつもあるでしょうが、やはり自分の性格が一番自分の人生を決めるように思います。
落語家の桂枝雀は、ネクラの性格を変えるためには、いつも楽しいことを考えて、笑っていれば、明るい性格になるはずと考えました。
それで、大げさな身振りの型破りな落語を開拓したのですが、やはり根っこの部分には、気に病むところが残っていたのでしょうか、不幸な結果に終りました。
事業をすることは人を使うことですが、どう使うかが企業の浮沈につながることは疑問の余地がない、だから、社員の性格を知ることが大事といわれます。
たとえば、その社員は叱ったほうが延びるのか、褒めて、褒めて能力を開花させるのかを見極めるのだと(それは、プロ、アマかかわらず、スポーツの監督などからも聞こえてきます)。
それもとても大事なことでしょうが、ここでは、私の失敗を反省して、まず自分の性格を知って、それに見合う組織を作りあげることも大事だと提案したいと思います。
ところで、宗教は大きな「仕掛け」だと思います。細かいことは省きますが、この年になると、生きていくためには、「仕掛け」があるほうが楽だと実感できます(道しるべや表示板、案内板がない道で迷っても、また引返し、ちがう道を行くエネルギーがだんだん少なくなってきますから)。
宗教は、生きる方便ではないと怒られるでしょうが、ときどき勉強するとおもしろいものです。
お釈迦さんは、人生の苦を、「四苦八苦」に分類しました。その中の一つである「怨憎会苦(おんぞうえく)」は、「怨み憎む者に会う苦しみ」という意味だそうですが、それを知ると、お釈迦さんに親しみがわきました(人の好き嫌いが激しいとよくいわれてきましたから)。
ただし、私の場合は、「怨み憎む者」ではなく、初めて会う人にでも、そうなのです。
おもしろい話をしたいのに、あるいは取引の話をしたいのに、「対人恐怖症」みたいな症状が出るので(冬でも汗が噴きだす)、どうしても会えないということがありました。
つまり、社員に任せざるをえないということです(社員は、「サボリ社長」と思っていたでしょう)。
また、性格に、残虐性、幼稚性があって、一度に怒ると、上げた拳を下げられないのです(早く下げたいと思っていても)。
今は、怒るほうが悪いと言ってくれるスタッフがいるので、ほんとに楽です(「ぼくのほうも悪いと思っていた」と気楽に言えますから)。
30年近く、決まった休みも取らずにがんばったつもりでしたが、内外の人間関係でのしくじりが、失敗の原因だったかも知れません。
そんな性格だから失敗するのだといわれれば仕方ありませんが、当時、自分の性格を、社員に素直に言っていればと悔やむこともあります。
苦境を乗りこえようとしている経営者の方、一人で抱えこまないで、自分の悩み、性格などを社員に話してはどうですか。強い組織ができるかもしれませんから。