断捨離ビジネス

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復活ノート

「断捨離ビジネス」
今回の地震の揺れは6分間も続いたという研究もあるようです。どんなに怖かったことでしょう。
阪神大震災の揺れを大阪で経験しましたが、1分間もなかったように思いますが、それでもとても長く感じました。子供を起こしたりしながら、「家よ、壊れるな」とひたすら祈っていたことを思いだします。
そして、すぐにテレビをつけたのですが、阪神地域のことは一切出ませんでした。しかし、あのようなことになってしまいました。
しかし、今度は、その後に津波が襲ってきました。今さらとなるのですが、明治時代に、三陸沖地震では、20メートル以上の津波があったそうで、今回、日本一と謳(うた)っていた防波堤でも10メートルしかなかったそうです。
今回も三陸沖で地震が起きたのですが、昔と比べて地震予知が進んでいるという慢心があったのでしょうか(原発の防護もそういう前提があったと考えられます)。
とにかく、毎日のニュースで伝えられるように、避難も、遺体の捜索も、原発への対応も、同時に進行しています。
自衛隊、消防、警察、役人なども現地に入っていますし、ボランティアも続々駆けつけています。
また、大勢の人が、義援金、食料や衣服などを出しています。まず仮設住宅ができあがり、すべての被災者が、とにかく落ちつけるようになればと思います。
祈ることしかできない私たちも、改めて自分の生活、人生を考えるようになるでしょう。
ある研究者の調査によれば、一軒の家には、車、箪笥、机などから、テレビ、電話、本、皿など、大小20万以上のアイテムがあるというのです(今回の津波は、すべてをさらっていったのですが、自宅を探していた奥さんは、瓦礫の中から、お義父さんの財布につけていたお札を見つけて、大事そうにかばんにしまっていたのが印象的でした)。
数年前から、「断捨離」という言葉で、心身ともに身軽なろうという機運が高まってきていましたが、今後、さらに強くなるのではないでしょう。
物を捨てられないのは、5万円もしたのにというようなケチな考えだけでなく、案外人間的なこともあります。
今は地デジを急がせるかマーシャルは影を潜めていますが、古いテレビを処分するときに、お酒をかけて、「ご苦労さん」と見送った人がいたようですが、物に情が移ることがあるのです。
ただし、思い出の車だから売れないと断っていたのに、高値だとわかると、「じゃあ、売ります」と答えるコマーシャルがありましたが、物との関係はそういう面もあります。
それなら、両方の気持ちを考えたビジネスはどうですか。
車でも、パソコンでも、子犬や子猫のように大事にしてくれる人を優先するのです。
車なら、手放したい人と手を上げた人の間に入って、譲渡手続き、契約している工場での修理など、すべて代行します(手数料は10%ぐらいか)。
車のことばかりで申しわけないのですが、中古車販売店では、高級車なら平気で100万円の利益を上乗せしています。
下取り価格はびっくりするぐらい安いのですから、このビジネスに賛同してくれる人は多いと思います。