ビジネスのノーベル賞

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復活ノート

「ビジネスのノーベル賞」
ノーベル賞が授与される「ノーベルウイーク」ということで、マスコミはは受賞者のことを取り上げています。
国にとっても威信をかけたイベントで、数年前、中国は自国の人間が取れなかった腹いせに、別の賞を作ったり、スウェーデンに対して、外交上の嫌がらせをしたりと大騒ぎをしたことがあります。
基本的には今までなかったものやことで人類に貢献した人に与えられるようです。
そういう意味では、「平和賞」がその意図に一番合っているようですが、「平和賞」ほど毀誉褒貶があるものはなく、また、印象が薄いものはありません。
たとえば、我が佐藤栄作の受賞理由は憲法九条や非核三原則の堅持だったのですが、受賞したことさえ忘れさられている感があります。今、それを覆す動きがありますから、これを強調したほうがいいのかもしれませんね。
受賞金額はネットに書いてありますが、受賞者は、功成り名遂げた人が多いのですから、かつての太宰治のように芥川賞を取れば原稿料が上がるという下心を持った人は少なく、名誉の仕上がりということなのでしょう。
また、受賞者の話を聞いていると、「これを作ろう、見つけよう」として血のにじむような努力をしてきた人と、研究をしているときに、別のものを見つけてそちらに向かった人がいるようです。
もちろん、どちら側の人も絶え間ない努力をしたからこその結果であるのは言うまでもないことです(受賞を逃した人は、スポットライトを浴びている人の何百、何千倍もいるはずですから、受賞した元夜間高校教師の大村博士が言っているように、「人との出会い」が成功の決め手となったのでしょう)。
ビジネスでも(こちらのほうが分かりやすいですが)、最初からこうしようと決めていってもその通りにはなりません。
いよいよとなったとき、あきらめるか、他の道を選ぶかを迷うものですが、その点は、ノーベル賞受賞者と同じです。
脱サラのビギナーは、「この道だけ」をという思いでまわりが見えなくなりがちです。私も、1年365日仕事をしました(休むことが怖かったのです)。
少し軌道に乗ると、今までやってきたことが正しかったと思って、さらに馬車馬のように働きました。
しかし、規模が大きくなってきたので人を入れますが、人の使い方がわからないために、
会社がぎくしゃくしてきました。また、社会の動きもわからなくなったのです。
世の中は自分が思うようには動かないものです。
まず、やってみるということも大事です。それも、おもしろいことを。
たとえば、「65才以上しか入れない酒場」はどうでしょう。しばらくは辛抱しなければなりませんが、店の雰囲気が生まれたら、料理、値段など客が教えてくれるでしょう。
マスコミも乗ってきます。ものすごい出会いですよ。そこから人を見る目を養ってください。ただ、ビジネスが大きくなっても、「ブラック企業」と言われないように。