
新しい学校
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復活ノート
「新しい学校」
去年からスマホをはじめたことは言いましたが、その後、神経衰弱的勤勉さでかなりのことを頭に入れています。
なにしろ、昔から「取説」を隅から隅まで読まないと実物を触れないという性格ですから、目も悪くなるし、そのものも嫌になるという結末になりました(昔のケータイの取説は吐き気がするほどの量でしたね)。
昔若い人に、「さわっていたら、なんとなくわかりますよ」と言われましたが、大事なことを落としたらどうなるんだと思ったものです。
しかし、紙の節減が叫ばれるようにあり、薄くなったのには内心ほっとしたものです(ネットでは詳細な取説がありますが、出さなければ、私の目の前にないのですから、読まずにすませられます)。
わからないことは、ネットを見てその通りするだけです(今も、「ライン」のスタンプを、自分の「プロフィール」画像にしたいと、最近スマホデビューしたスタッフに聞かれたものですから、それをやりとげたところです。直接はできないので、スクリーンショットでスタンプの写真を取り、トリミングアプリをインストールしてから、それを加工してできあがりです)。
最近わかりましたが、その「ライン」のブロックというのは、「一対一のおつきあいはできないけど、グループならトークOKよ」というものらしいですね(これも、最近覚えたけど、「削除」というものもあります。油断している間に一人入ってきたので、「削除」してやりました)。
若い人は、相手をブロックしようか、自分が退会しようかなどと悩んでいるのかと思うと、「今ごろ生まれてこなくてよかった」というのが、私とその年配のスタッフの同じ意見でした。
しかし、今生まれて大きくなろうとしている人間は、たとえ少子化でも大勢います。
スマホなどのSNSでちまちまするのも、大人になる準備として大事なことかもしれませんが、何かもったいないような気がします。
「才能を伸ばす」というのが戦後の合言葉ですが、今も、私たち団塊世代とそう変わっていないような気がします。
しかも、今は夢をもちにくい時代ですし、それどころか、家庭の内外で、今ほど心身の危険がある時代はないかもしれません。
こうなったら、学校に行きたくなくなるよなことを考えたらどうでしょう。たとえば、冒険でも、発明でも、専門家がついて、それに取りくむ。
実際に学校に行かなくてもいいですし、学校に行っても、その何十倍ものを学べます。
親や教師でも、子供の個性を見ぬくことはむずかしいものです。しかも、個性が独り歩きするものでもありません。逆に個性など何の役にも立たないかもしれません。
親や教師、社会に、いつ心身を殺されるかもしれません。小さいときからどんな苦境をも乗りこえる術を教えこむのです。何が起きるかわからない時代を生きる人がまっています。