田中君をさがして(13)
すると、あの「穴」がある先生の家に前に行きたくなった。また、戸をさわると、鍵がかかっていなかった。
今度も、ドキドキはしたが、前のように、心臓が口から飛び出るようなことはなかった。
そのまま、中へ入り、玄関のガラス戸を開けると、動いた。
中に入ると、前のように、怖い気持ちもあったが、懐かしさも湧いてきた。
今度も、待合室、診察室を通って、すぐ右手にある金田さんの部屋の前で止まった。
障子を、少し開けた。中には、何もなった。
ここで、粉末のオレンジジュースを飲みながら、勉強を教えてもらったことがあった。
しかし、すぐに障子を閉めて、台所へ行った。
そこで、先生は、大丈夫だろうか、奥さんも、身体は丈夫でなく、よく寝ていたが。金田さんは、今も、あのように明るく笑っているのだろうかと思った。
そうすると、これから、一人でがんばらなければならないという気持ちが湧いてきた。
だから、パパは、さびしさが、勇気をくれて、怖いことを乗り切ったら、自分が変わってきたことを知った。
最初、先生の家に行ったとき、後ろから、だれかに押されたような気がした。しかし、それを越えると、自分の中で、自分を押さえていた「重し」が取れたような気がした。
何かをしようとすると、それができるようなよう気がしてきたのだ。
だから、さびしさは、「見る力」や「考える力」、つまり「生きる力」の源になるのだと言った。
だれでも、いじめられたり、からかわれたりしていると、自分が、情けなく、弱いものに思えてくる。それを打破しなければ、大人になれないのだ。さらに言えば、家長としての責任を果たせなくなる。とにかく、生きていくためには、自信が必要なんだ。
パパは、このことを、ぼくや同級生に教えたいと思った。しかも、今すぐ。
高橋先生の家は、しばらくして取り壊された。鍵がかかっていなかったのは、道具の引き取りや、取り壊しのために、人が来るために、わざと開けてあったのだろうか。
ある日、学校から帰ると、友だちが、先生の家を壊していると言ったので、見に行った。すでに、板塀はなくなり、大勢の男の人たちが、家の壁をつぶしていた。大きな音がして、壁は崩れ、土のにおいが立ち上がった。
4.5日すると、家は、何もかもなくなった。
2、3ヶ月後、よそからきた人が、そこに、家を建てることになったので、パパは、その「穴」を見ることはなかった。
ぼくは、もうパークサイド病院には行きたくなかった。
体が、急に冷えるかと思えば、そのまま固くなる。自分が自分でないような感覚は、とてもいやだった。
しかし、パパは、「怖い」と思うことが、人生の始まりだ。そこから、勇気が生まれるのだ、つまり、大人になる道だ。
大人になるということを、もっと、真剣に考えなければならないと言った。
そう言われれば、ぼくには断れない。
しかも、今回の目的は、単に、みんなを怖がらすことではなく、自分を見つけるきっかけにしてほしいためだと、パパは力説した。
翌日、ぼくは、田代、藤沢、吉野に、ちょっと話があるので、一緒に帰ろうと誘った。
学校で、この話をすると、誰か近寄ってくるかもしれないし、この話が、教室に、妙な雰囲気を作ってしまうかもしれないと考えたからだ。
3人は、学校では、ぼくの、何か思いつめたような様子を感じて、何も聞かなかった。
そこらへんは、ぼくら4人が、「馬が会う」仲間だから、ちゃんとわかってくれているのだ。
放課後、4人で、校門を出た。ぼくは、パパに似ているらしく、緊張のせいか、体が、少しぎこちなくなっていた。
ぼくは、商店街の手前に、小さな公園があるのを思いだした。
その公園は、幼児用の遊具があるだけだし、いつも買物帰りの親子やおばあさんがいるので、ぼくらは、あまり行かなかった。
藤沢は、その手前で、曲がるのを思い出し、彼に、そのままついてきてくれるように頼んだ。
公園は、2,3組の親子が、立ち話をしているだけだった。
子供が、ブランコや滑り台で遊んでいた。
ぼくは、うしろを振り返って、知った顔がないのを確認して、公園へ入った。
みんなも、黙ってついてきた。
ぼくらは、低い潅木の向こうある小さな鉄棒に座った。
ぼくは、胸ポケットから、四つにたたんだ、パパの書いた「大人になるための招待状」を取り出し、みんなに見せた。
みんなの心には、ぼくの様子から判断して、何か、すごい秘密が隠されているにちがいないという思いがあったのだろう、みんなは、「招待状」を食い入るように見た。
田代が言った。
「パークサイド病院か。あそこには絶対近づくなと言われている」
「昔、あそこで、殺人事件があったらしいよ」と、藤沢。
「まだ、怖い男が、毎晩来ているらしいぜ」と、吉野が、声をひそめて言った。
「パパは、何回も、病院へ行って、ちゃんと調べているから大丈夫だ」
「日曜日か。塾があるよ」
ぼくは、パパの考えや経験について、おぼえているだけしゃべった。
話している間、だんだん心配になってきたけど、ここでひるむことは、パパに申し訳ないような気がしたので、この前、パパと二人で病院へ行ったことも話した。