シーラじいさん見聞録

   

その声に訓練生たちは一斉に応えた。
「さあ、がんばろう」
「いよいよ、おれたちの出番が来るぞ」
「海の男の勇気を見せてやろうじゃないか!」
大きな波があちこちから起きた。
オリオンの横にいた訓練生が、波に揺れながら、「みんなについていきたいけど、ぼくは弱虫なんだ。どうしたらいいのだろう?」と聞いてきた。
「みんなが言っているような大きな者が襲ってきたら、ぼくも逃げるしかできないさ」とオリオンは答えた。
「でも、きみには勇気がある」
「いや、今まで何も知らないまま行動していただけなんだ」
「これから教えてくれよ」
「じゃ、いっしょにがんばろう」
その訓練生は、笑顔を見せると、すぐに泳ぎさった。
オリオンも急いで担当区域に向った。
泳いでいる間も、クラーケンの部下をまとめていると言われている部隊長のことが気になって仕方がなかった。
クラーケン帝国出身ではなく、しかも、それほど大きくはないということだ。
まさか。絶対そんなことはない。オリオンは、大きな声を出して、自分の想像を打ちけした。
やがて、担当区域について、任務をはじめた。
ときおり、大きな影を感じることがあっても、慌てている様子がなかったら近づかないようにしていた。近所の者が行きかっているだけだからだ。
しかし、訓練生が受けもっている安全な場所でも、声をかける回数が、日ごとに増えてきたように思えた。
そして、5、6時間ぐらい立って、動きが全くなくなったので、今日は帰ろうと思ったとき、大きな影が近づくのを感じた。
オリオンは、体をクルッと回転させて身構えて、影の動きを見ようとした。
しかし、その影は真正面からどんどん近づいてきた。オリオンは、すぐに逃げようとしたが、敵意ではない信号を感じた。
一瞬躊躇している間に、その影は、目の前にいた。
そして、「こんにちは」と笑顔で挨拶をした。幹部の友だちの娘だった。
「こんにちは」オリオンも挨拶を返した。
「びっくりさせてごめんなさい」
「何かあったのですか」
「あなたに伝えたいことがあったの。この前、パパの友だちが、怪物を見たと言ったでしょ? 
最近わたしたちがいるほうにも近づいてきているみたい。パパや弟も見たらしいわ。
後をついていくと、どうやら、大きな岩のまわりをぐるぐる回っていたそうよ。
その後、こっちへ向ったということだから、急いで知らせに来たの」
「ありがとうございます。幹部が、クラーケンがいる城塞の兵士から聞いたことと同じことですね。
クラーケンが、ニンゲンを襲うかもしれないそうです。それで、新たな基地を見つけようとしているということでした」
「あなたも気をつけてね」
「ありがとうございます。お友だちは?」、
「家族に、遠出しないように言われているので出られないの」
「あなたは大丈夫ですか?」
「ここへ来たのは内緒よ。パパは、早くお転婆を直せと口やかましいし、ママは、おまえが男だったらねえと嘆いているわ」と笑った。
オリオンも笑顔になった。
「わたしも、あなたのような仕事がしたいわ」
「でも、あなたがたは海で一番強い種類だから、近づくとみんな恐がるかもしれない」
「そうね」
二人は笑った。
「いつかゆっくり話がしたいですね」
「わたしも」
「ぼく、オリオンといいます」
「オリオンて?」
「名前です」
「名前?」
「あなたのことを誰かに話すとき、名前があれば、相手はすぐにわかります」
「便利ね!」
「この混乱が終ったら、ゆっくり話がしたいですね」
「いつ終るかしら?」
「どこも、海の中の海のようになればいいのですが」
二人は、顔を見合してうなずいた。
「それじゃ、オリオン」
「それじゃ」
娘は、体をぐっとそらすと、勢いよく去っていった。
オリオンは、小さくなっていく姿を見守りながら、自分の夢の前で、なんて自分はちっぽけな存在だろうと思った。

 -