迷信
今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「迷信」
誤解のほかに、迷信ゆうのもある。こいつも、困ったもんや。
せやけど、今は科学の時代で、何でもわかってるから、迷信なんかあるかいなと思てる人が多いやろ。なるほど、辞典には、「迷信とは、科学的でないもの」と書いてある。
そらな、「黒い猫が、前を横切ると縁起が悪い」ゆうのは、ようわからん。今は、クロネコは、「宅急便です」ゆうて、ええもん持ってくるからな。
せやけど、「夜、爪を切るとあかん」とか、「ミミズにおしっこをかけると、ちんちんが腫(は)れる」とゆうのは、衛生的な面からできてるらしい。昔は、「爪切り」がないから、包丁で切らんとあかんし、汚い手で、大事なところ触ったらあかんわけや。
つまり、迷信の多くは科学的なことで納得がいくんや。ゴマンとある迷信・俗信・言い伝えは、経験から来てるもん。経験ゆうたら、科学やで。
しかも、「迷信」は、社会規範、道徳、宗教の役割をしてたように思える。
「ご飯を食べて、すぐ寝ると、牛になる」ゆうけど、消化とゆうことでは、ごろんとした方がええらしいけど、行儀を教えたんやな。今は、若いのが、道や電車の中ですわっとるが、強烈な「迷信」を作らんとあかんな。「外ですわってると、足喰いバクテリアに、足を短こうされる」とかな。
とにかく、現代は、科学を過信して、結局、新しい迷信を作り出しているんとちがうか。
「この薬を飲んだら、死ぬまで生きられる」(あたりまえか)とか、「ミサイルが来たら、これで打ち返したら心配ない」とか。これも迷信やないか。
戦後は、その出発点やと思う。ぼくらも、そういうことは、いっぱい経験してきた。
前にも書いたけど、スポーツゆうたら、「ウサギ飛びせえ」、「水を飲むな」。今は、全部、悪いとことやとゆわれている。テレビも、真っ暗なとこで見ると、目悪うなるとゆわれて、雨戸閉めて見たもんや。
みんなが知っている「人口調味料」は、頭がよくなるから、どんどんかけろやった。ぼくらは、「卵ご飯」、「つけもん」、「味噌汁」と、なんでもかけた。口が、じゃり、じゃりゆうても、頭がよくなるためやと、パッパ、パッパとやった。
学校の先生も、「その調味料が、最近、ものすごく売れているらしい。何でか知ってるか。それはな、穴を、少し大きくしたからや。賢いやろ」と、ほめる始末。
聞いたら、今は、塩分がきついから、なるべく取らないようにとなっているようや。そんなもんやで、科学的ゆうのは。
病気の原因のウイルスも生きもんし、国際関係も、ゆうてみたら生きもんみたいなもんや。相手が変化したら、わからんことが出てくる。そこに、迷信が生まれるのやな。
しかも、今は、科学のコロモをかぶっているから、わかりにくくなっているし、世界に、瞬時に拡がるから、昔より、性質(たち)が悪い。
何でも、信じすぎると、えらい目に会うということやな。