トイレの神様
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「トイレの神様」
「トイレの神様」ゆう歌が流行っている。便所の歌で紅白に出たなんてはじめてやろ(しかも、8分以上の長さやった)。
去年の初めやったか、大ブレークする前に、「探偵ナイトスクープ」で、4,5才の男の子がこの歌を毎日聴いて、その都度大泣きするので調べてほしいとゆう母親からの依頼があり、本人がその家に行って歌っていたが、この歌には子供に便所掃除をさせたろとゆう魂胆以外に何かあるのやろな。
♪トイレ~には、それはそれはクサイ女神様がいるんや~で~♪やったか。
ぼくのように、「トイレその後で」だけでは足らんので、「トイレその途中に」ちゅうのを小林製薬に作ってほしいと思っているもんは、この歌でクサイのは自分の悪食のせいではなく、女神のせいやとゆうことがわかった。
♪小3の頃から なぜだかおばあちゃんと暮らしてた♪
そうそう、ぼくもそうやった。この家は嫁姑のことかどうか知らんけど、ぼくの場合は母親が結核で入院していたから、生まれてからずっとおばあちゃんに大きくしてもろた。
小学校に上がるとき、バスに乗って、隣町に服を買いにいった。
そこのおばはんが、「おかあちゃんにええ服買うてもらいや」と愛想してきたけど、心では「こんなん、おかあちゃんとちがうわい」と反発したもんや(そのくせ、24時間ヒヨコみたいにおばあちゃんの尻を追いかけていた)。
田舎では、女でも、としよりは立っておしっこしていたから、おばあちゃんが男の便器でおしっこするときは、前でかがんで、「見えてる、見えてる」とからかった。
♪おばあちゃん、ごめんね。おしっこしているとき股を覗いて。おかげで変態になりました♪てか(そんな思い出はぼくだけやない。としよりは腰巻やったから、ある人は、おばあちゃんとホームごたつで昼寝しているときに、「おばあちゃん、なんでそんなとこに海苔つけてるん?」と聞いたそうや)。
♪人は人を傷付け、大切なものをなくしてく~♪
作詞家の阿久悠は、プロになる前に、流行歌に出てくる言葉を徹底的に調べたらしいな。
そして、その時代の背景も調べたはずや。つまり、「歌は世につれ、世は歌につれ」を科学的に研究してヒット曲を量産していったわけや。
このところ、「千の風になって」とか「また君に恋している」とかが流行ったけど、まさか死んだ人や出ていった人に声をかけられるとは思わへんもんな。それでびっくりして泣いてしまう(「トイレの神様」も相手は死んだ人や。とにかく、悪いことをしたもんは今が謝るチャンスやで)。
「愛情に飢える」ゆうやろ?それは「愛情をほしがる」だけでなく、「愛情をかける」ゆうこともでもあるのとちがうか。
生活するのに四苦八苦する時代やけど、それでも、みんな愛情を出したくてしゃないのや。
「トイレの神様」は子供っぽい歌詞やけど、受け皿にはもってこいやったんやな。
NHKに「世界ふれあい街歩き」ゆう番組がある。関西では再放送で深夜にやっている(23時頃やと思うけど、その時間は家にいるときは酒飲んで寝ているけど、たまに見ることがある)。
この前は、イギリスの片田舎の漁師町を歩いていた。細い道に入ると、おじいさんが一人家の前で料理をしていた。
元漁師で、仲間が海でどんどん死んだので引退して、好きな絵を描いて暮らしているとゆうことや。
そのとき、いっしょに料理をするゆう50代の夫婦が来た。
その夫婦は17年前に引越ししてきたけど、奥さんは、最初おじいさんを見たとき怖かったけど、ほんまにええ人やとゆうていた(主人も、「ぼくらは17年間前にきたけど、彼はここに117年間いるよ」と笑わせていた)。
そして、よく肥えた奥さんは、おじいさんの衿を直したり、ほっぺたにチューをした。
カメラが入っていることもあるやろけど、ものすごう自然やった(それを見たら涙ぼたぼた落ちた)。
日本人はこうゆうことがでけん(死んでから声をかけても意味がない)。
愛情を出したくてたまらんのやから、どう出すか考えことが自分の幸福につながるのとちがうか。
せやけど、だれかれなく「ほれてまうやろ~」とゆうのはちょっとちがうやろけどな、多分。