シーラじいさん見聞録

   

「すぐ調べてみるよ」ブラウンもアントニスをじっと見て言った。その顔には、どんな犠牲を払ってでもやりぬこうという強い意思がはっきり見てとれた。それは、疑う心を一瞬に吹きとばす力を持っていた。
そのうえ、そんなことがあるのだろうかという疑念は、目の前にあらわれる「現実」がすべて吹きとばしていった。
ベラが作った手紙、それを運んだカモメもそうだ。世界中のイルカ、シャチ、クジラが人間を襲うのもまぎれもない事実だ。
自分が、いや、人間全体が、世界はこうである、こうであってほしいと思うことは、ことごとく覆されてきたのもまちがいない。
ジャーナリストとしては、これほどの時代はない。まるで大陸が動き、生物が絶滅し、あるいは、新たな生物が生まれる太古の時代を目撃しているようではないか。
しかも、アントニスとイリアスに出会うという幸運に恵まれたのだ。
一人の人間として、あるいはジャーナリストとして、全力を傾けようと誓った。
まず、同僚から聞いたように、大学教授が勤務先が突然変わり、しかも、それだけでなく、今どこにいるか公表されていないということはほんとか、そして、今どこにいるかを取材すること、そして、冷戦時代のソフィア共和国の状況と政治家について調べることにした。

シーラじいさんはようやくリゲルたちがいる場所に着いた。
「激しい攻撃じゃたな。おまえたちに何事もなければいいがと願いながらここに来た」
「ミラがぼくらを守ってくれました。かなり撃たれているはずです。しかし、今もセンスイカンやヘリコプターを、ぼくらから引きはなすために動いています。
カモメがずっとミラを追っていますから、少しは安心しているのですが、早く帰ってこないか待っています」
翌日、ミラが帰ってきた。背中や腹に相当の傷があるようだ。赤くえぐれているのが見える。
それを聞かれると、「血が出ていたので、今帰るとニンゲン以外のものがついてくるかもしれないで、しばらく様子を見ていたんだ。
クラーケンらしきものが来ると、ヘリコプターはそちらに向かったのを何回も見たが、相当警戒しているようだ。
相変わらず、その場所その場所で動員されたものが多いようで、すぐに殺されていた。死体があちこち浮いていた。今後は、今まで以上に注意したほうがいい」
リゲルも、カモメから聞いたドーバー海峡の様子とミセス・ジャイロの話をした。
「そうか。すると、北極のほうからも、クラーケンは来ているのじゃな。ソフィア共和国があった場所も危険かもしれないないな」
「シーラじいさん、今後どうしたらいいのですか」リゲルが聞いた。
「そうじゃな。まずオリオンがどこにいるかでわしらが取るべき行動が決まる。まずは様子を見よう」
リゲルは、さらに「アントニスはこの近くにいるようなので、ベラがすでにアントニスに手紙を送り、ぼくらが地中海を出たことを報告しています」と言った。
「それは心強い。これからは、アントニスの情報が頼りになる」
夕方、カモメがアントニスの手紙を持ってきた。
シーラじいさんは、「信頼できる仲間ができたと書いている。いつここを出なければならないかわからぬから、今のうちに休め」と言った。

オリオンは、ここに運ばれてきたとき、スタッフの一人がタンクの確認口を開け、「オリオン、ようこそ。疲れだだろう。ゆっくりしてくれ」と声をかけたので、思わず「サンキュー」と言った。
しまったと思ったが、「おい、聞こえたか。今サンキューと言ったぞ!と近くにいた同僚に興奮して叫んだ。
「聞こえた。今のはイルカの声か」と同僚が寄ってきた。
「やはりしゃべるんだな。あっちではまったくしゃべらなかたそうだが」
「どうだ?そこは狭いだろう」しかし、オリオンは黙っていた。
確かに、クレタ島の研究所で、リゲルやミラたちが命がけで助けようとしてくれているのだから、何かしゃべれば、事態を変えることができるかもしれないと考えた。そして、そのタイミングを見計っているときに、ここに連れてこられたのだ。
今「サンキュー」という言葉が出たのは、ほっとしていたときに、やさしい言葉をかけてくれたからからにちがいない。
しかし、ニンゲンたちはあわてて動いている。こうなったら、次のことを考えるしかない。
オリオンは、すぐに研究用の水槽に移された。そこは、クレタ島の研究所のように、24時間監視カメラが回っているはずだ。それをどう利用するかが大事だ。
上司のような男があわてて入ってきた。「サンキューとしゃべったんだって!」と部下に聞いた。
「はい、まちがいありません。3人で聞きましたから」
上司は、オリオンに向かって、「おい、何か言えよ。おれたちも海の男だ。お互い忌憚なく話そうじゃないか」と話しかけてた。しかし、オリオンは黙っていた。
「ちぇ、よく訓練された兵士のようだな。それじゃ、明日から調べよう」と言いのこして出ていった。
その後、スタッフがかわるがわる声をかけてきたが、ここでも、一切しゃべらなかった。
翌日、クレタ島と同じような研究が行われた。英語にどう反応するかが中心だが、今度は、脳波を止めることはしなかった。つまり、話さないが、言葉に反応していることはわからせるためだ。
「ぼくらの話はわかっているようだな」
「脳に何か埋めこまれているかもしれないな。しかし、メスでも入れて死んでしまったら取りかえしがつかない」

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