シーラじいさん見聞録

   

「しかし、大人たちは、時々どこかへ連れていかれるが、そのまま戻ってこないものがいるんだ。きっと殺されている」子供は声をひそめた。
「ニンゲンはぼくらを殺さないよ。たまたま死んでしまうことがあるけど」
「ほんとか!」
「ぼくも、2,3回そこに連れていかれたけど、生きて帰ってきた」
「えっ、きみは最近ここへ来たのじゃなかったのか!」
「そうだ。ニンゲンは、ぼくらを調べたがっているんだ」
「何のために?」
「きみがいた場所にも、ニンゲンが攻めてくる。みんなで守れと言いにきたものがいただろう?」
「そうだ。それで大勢ついていった。ぼくは親とはぐれたので、探しているときに、逃げてくるものが、早く戻れと叫んだので、一緒に帰った。親はぼくを探しているだろうから、早く帰りたいんだ」
「あいつらは、これからもこんな騒ぎを起こすかもしれないから、ニンゲンは、その中に情報を送るものを紛れこまそうとしているようだ」
「ぼくらにそうさせようとしているのか。でもどうしてそんなことが?」
「ぼくらの体の中に機械を入れて、どこに向かっているか察知するんだ」
「なんて悪いやつなんだ、ニンゲンというのは!」
「でも、ニンゲンからぼくらを襲ったことはないよ」
「でも、ぼくらの仲間は、ニンゲンに大勢殺されたんだよ」
「それは、唆(そそのか)されてニンゲンを襲ったからだ」
子供は考え込んでしまった。「確かにニンゲンはぼくらを大事にしてくれた。近くまで行って、何もされなかった。また楽しかった」
「そうだろう。ニンゲンも、どうしてこんなことになったのか心配しているんだ」
「でも、どうしてきみはそんなことを知っているんだ?」
「元のように静かで平和な海に戻したいと思って、みんなで世界中を回っているんだ。
仲間にはニンゲンもいるんだよ」
「ほんとか」
「数日前、ぼくらを助けようとここに来たニンゲンがいる。多分、わざと捕まったんだと思う」
「ぼくが知らないことばかりだ」
「それから、ここにはカメラというものがあって、ほら、天井の隅に小さなものがついているだろう、あれで、いつもぼくらを見ている。だから、何か話があるときは、潜ってから話そう」
二人は、上に上がって、いつもとおなじように離れた。
オリオンは、その後アントニスはここ通っていないはずだ。すると、まだどこかに閉じ込められているのだろうか。
ぼくが、別の水槽に連れていかれている間にここを通ったことがあるかもしれないが、今後あの子供にも、アントニスを見張ってもらおう。
そして、なにげなく下で出会ったようにして、話を続けた。子供は少しずつ希望を持つようになっていた。今までのように、ニンゲンや仲間から背を向けることなく、水槽の外に目を配るようになった。
オリオンは、毎日のように別の水槽に連れていかれた。そこは、みんながいる水槽の背後の下でつながっていて、狭い出入口を行き来するようになっていた。
しかも、かなり狭く、イルカが1頭入れるほどの大きさしかなかった。
そこで行われているのはオリオンが本当に英語を話すのかを確認することだった。
脳や喉の内部を、最新の技術で撮影し、また、英語を聞かせて、どのように反応するかを調べた。
しかし、拘束時間が長いとオリオンの体に支障が出るので、1日に1時間程度に抑えた。
もしオリオンに何かあれば、元も子もなくなるからだ。オリオンは、英語を聞いても、反応が出ないように懸命にこらえた。
ただ、自分以外のものが連れてこられたとき、そのまま帰らないことが増えてきた。
子供は、また不安を感じるようになった。オリオンは、「どこか別の場所で調べられているんだよ」と慰めたが、ひょっとして、またクラーケンたちが騒ぎだしたので、追跡装置を入れられたイルカが次々と使われるようになったのではないかないかと不安がよぎった。
アントニスとイリアスの話は新聞に出た。しかし、クラーケンの印象が強く、そんな美談は注目されなかった。
アントニスは、カモメに頼んで、シーラじいさんたちと何回もあった。
アントニスが持ってきた新聞によれば、オリオンが感じたように、クラーケンたちがどこに向かうかを知るために、「おとり」を紛れこませたが、きまって途中でおとりの動きが止まってしまうということだった。
つまり、クラーケンたちは、「おとり」が発する音を気づく能力があるとしか思えないと考える研究者もいた。
「オリオンがまだあそこにいるのはまちがいない。今のうちに何か方法を考えよう。決して焦ることはないぞ」シーラじいさんは、みんなに釘を刺した。
アントニスは、新聞記事が反響を呼ばないのなら、自分で絵と文章を作って絵本を出したらどうだろうかとひらめいた。
それを、イ・カシメリニの記者であるアレクシオスに相談した。
アレクシオスは、以前から、早く解決しないとクレタ島の産業である観光や漁業が衰退してしまうと心配していたので、今回の記事は力を込めて書いたのだが、全く反響がなかったことに落胆していた。また、二人にも申し訳ない気持ちをもっていた。
電話の向こうでじっと聞いていたアレクシオスは、アントニスの考えに閃くものを感じた。
「それはおもしろい。しかし、費用だけでなく、出版も個人では無理だ。それなら、知りあいの出版社があるから、一度聞いてみよう」と言ってくれた。

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