ユキ物語(1)

   

「ユキ物語」(1)
美佳が西側の白いカーテンを下した。これは毎日のルーティンで、他にも店員は4,5人いるのに必ず美佳がしている。さらに言えば、西日が眩しいときだけでなく、雨の日もそうしている。
もちろん最初は西日を避けるためだったはずだが、今は今日の営業を終わらす準備をするようにと部下に伝える合図となっている。
美佳はこの店で店長のような役割をしているのだ。年は5,6才ぐらいか。いや、それはおれたちの場合で40前ぐらいか。
おれは店員同士が話していれば近くに寄らずに聞くようにしているが、美佳の年令が話題になったことはないはずだ。他の店員は、20代ばかりなので、本人が自ら話さないからだろう。
ただし、店の雰囲気は明るい。美佳の下でみんなてきぱきと働いている。
今、「のような」といったのは経営者らしき男が来たときは、店員の前で美佳のことを「店長」などと言わないからだ。経営者は自分の立場を強調するためか、部下に対して、やたら店長、支店長とか呼ぶ輩(やから)がいる。
つまりは、自分は店長や支店長の上にいると言いたいのだろうが、美佳に関しては、その事情はわからない。
おれがここに連れてこられたのは2年前で、すでに美佳がすでにここにいた。
ただし、まだカーテンを下ろすことは閉店の準備をすることであるという暗黙の了解はなかったように思う。
それはともかく、おれも今はその意味を十分汲み取って、今日も終ったと自分に言い聞かせるのだ。
そんなときは、もちろん客がいなければ、大きなあくびをして疲れを取るようにしているのだが、ときには店の外から、おれの名前を呼んで、「まあ、かわいい!」などと叫びながら店に乱入してくる子供がいることもある。
そんなときはされるままにしている。子供が来ることはつまりはその親も来るから、そう邪険にすることもできないのだ。こういうときにかぎって制約につながることもあるからである。
しかし、今日はそれもなくてこのまま終われそうである。美佳をはじめ、4人の店員は機嫌がよい。時間どおり仕事を終えて、しかも、成約は5つあったようである。こんなことは滅多にない。機嫌がいいのはもっともである。
さらに機嫌がいいのは残された商品どもである。今日あれだけ楽しく遊んでいたのにその相手がいない。しかも、明日になれば自分もここにいないかもしれないのに無邪気なものである。
「それは畜生だからだ」と人間は言うかもしれないが、そうではない。
自分たちの運命は自分たちで決められないものであるということが、自覚しようがしまいが心のどこかで分かっているからである。
自覚したところで、自分がいないところで運命が決まってしまうのであれば、どうしようもないのだ。それなら、今日楽しく過ごすしかないのだ。生まれて数か月の商品どももいそれを知っているのだ。
そういうおれも、ひょっとして明日になればここにいないかもしれない。
この2年間ここで宮使いしているから、おれの身の上に何かあれば店員が言葉をかけてくれるだろうが、こればかりは安心できないのだ。そのとき、店の外でおれを見ているものに気づいた。

 -