テレビ

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「テレビ」
今日も朝から、「不倫の致すところです」とか「やっちゃった婚です」などゆう声が聞こえる。
もちろん、近所から聞こえるのではなくテレビやけど、よう聞くと不倫ではなく不徳で、「やっちゃった」ではなく「できちゃった」のようやけど、まあ、朝から聞く言葉ではないわな。
こんなことを、朝早くごみステーションで立ち話の話題にする主婦がいたら、どうかしてるぜ。
テレビはいつでもこんなことを話題にする。つまり、テレビは、非日常、つまりまともやないわけや。
ぼくは団塊世代、つまり元祖テレビっ子やから、テレビから離れられへんかったな(「テレビを見ながら勉強するな」とゆう親も、テレビを見ながら叱っていたもんや)。
どうしてテレビばっかり見ていたのやろと振り返ると、やっぱり刺激やろな。白黒テレビに映るものはどんなものでも珍しかった。脇目も振らず見ていた(勉強しながらもテレビをみていた)。
最近の若い男はテレビを見んらしいけど当然やな(リアルのほうが刺激が多いし、プライバシーの切り売り番組ばっかりではな)。
ぼくも最近は見ないな。70近いのにテレビなんか見ていたらあかんと言い聞かせているのではなくて、生活に「テレビを見る」とゆうことがなくなった。
まあ、刺激がある生活をしているとゆうことにしとこ(この数年パソコンいじりが楽しくてな)。
ただ、かかっているテレビは見るで。「世界遺産」なんか見るとわくわくする(実際に行くことはないやろから、もうすぐお別れする地球の姿を見ときたいんや)。
それからCMや。一番社会を表すもんや。それはええのやけど、コンビニのCMで、母親が、コンビニで買うてきた食べものを、子供に、「おいしい?おいしい?」と聞くのがあるのやけど、母親には後ろめたさがないのかなと思うのやけど(もちろんスポンサーや制作会社の決めたことやけど)。
それから、ビールでもコーラでもそうやけど、ラッパ飲みしているけど、あれはどうや。
どちらもそれでええのやてか。はい、わかりました。もう言いません。
もう一つだけ。今はニュースでも、対談でも、下に字が出るやろ。
スーパーインポーズゆうやつで、略してスーパーとか文字スーパーとかゆわれているけど、あれはどうや。
確かに英語やズーズー弁のときは助かるけど、テレビ局は、自己規制とか世間の流れを基準にしているようや。
今まで何百回以上取り上げてきたが、「~してあげる」とゆうやつ(最高傑作は、掛布が解説でゆうた「ボールをライトに打ってあげてですね・・・」や)。
相手が、「犬にエサをやる」ゆうとんのに、「犬にエサをあげる」と変えとる。
最近は、どんなことにも「~あげる」を使いたいもんは使うたらええと思うようにしている。
しかし、相手が、「~やる」とゆうているのに、わざわざ「~あげる」に変えなくてもええやろと思う。
「ら抜き」のことが新聞に出ている。「食べられる」より、「食べれる」を使う人が多くなったんやて。スーパーではどうするんやろ。興味ある。
あっ、テレビはもう見いひんゆうたからな。どうしよう。1日2時間だけ見るとするか。

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