通りすがりのおっさんの話

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「通りすがりのおっさんの話」
成人おめでとう。そうゆわれても、あんまり実感がないやろな。
しかも、「成人の日」を、15日から第2月曜日にするなどとゆうのは、世間も、自分らの休みを優先しているのはありありや(ぼくは15日にこだわるで)。
せやけど、親はちがう。子供が二十歳になると、ようがんばったなと思うもんや(ただし、子供やなくて、自分がやけどな。これも勝手な話か)。
それでか、父親は、ぼくが二十歳になっとき、田舎から手紙を送ってきた(昔は、どこの親もそうやったけど、死ぬまで自分のことはゆわんかった。母親もそうで、どんな字を書くのさえ知らんまま死んだ)。
「自分は、背が低いのが劣等感やった。戦争でフィリピンに行ったとき、度胸試しで原住民の耳を切れとゆわれたときはいややった。しかし、走りと視力は、部隊で一番やった」とか書いていた。
それが、ぼくにくれた最初で最後の手紙やったけど、自分は戦争に行かされたけど、おまえを待つのも戦争やでとゆいたかったんやろか。
当時、戦場とゆえば「受験戦争」やと、世間もぼくも思うていたけど、ほんまは生きていくことが戦場やとゆいたかったかもわからん。
それにしても、今はひどいな。不景気な話は事欠かん。机のまわりを見ても、去年は日航のカレンダーを張っていた。高級な紙で、世界の美人が、世界遺産でポーズをしている絵柄や(別に、ぼくが日航の上客とゆうわけやなくて、老人施設からもらったもんや)。
これが日航の最後のカレンダーになるやろなと思うたとおり、今年は、ダスキンの3ケ月綴りのカレンダーをもろた(これは、これで便利やけど)。
世界の国は、グローバル化で儲けようとしたが、足引っぱられるのもグローバル化やったという結末や(日米欧ががたついているから、レアメタルしかない中国バブルも、いずれしぼむやろ)。
きみらは、こんな世界に出ていくのや。無責任やけど、難所だらけで、平穏な航路はないと、前もってわかるだけでも幸いと思わんとしゃあないな。
子供のときから、金持ちの子供がうらやましくてたまらんかった。高いおもちゃをもっているし、「冒険王」など月刊誌を毎月買うてもらっている。
それを読ませてもらえばすむのに、自分の不幸をうらむ。これが、ぼくのアイディンティーの核になった。それは、ねたみ、卑屈、ひがみになっていった。
それを克服できずに、つまらん人生を送ってきたが、みんなも、いやな性格やと思うもんがあるんかな。
それが、発奮するきっかけになるけど(ぼくも、それなら自分が金儲けしたると、事業をはじめた)、
性格は変わらんので、少し儲けても、さらに金持ちをうらやましくなった。
過剰投資などで、事業をやめざるをえなくなったのも、性格のせいや(事業をはじめたのも、性格のお陰やけど)。
性格がかわらないのなら、それをコントロールするものがいる。それが自信とゆうものや。
せやけど、飛びぬけて勉強やスポーツができるもんは少ない。
それならどうするか。自分をほめることや。それも毎日毎日や。桂枝雀は、家で、自分の落語を見ては大笑いしたそうや(鬱病で命を落とした枝雀も、それが芸人として生きていく知恵やったんやないか)。
「今日は忙しかったのに散髪に行ったのはえらい」でもええがな。自信がつけば、テレビで、華やかなタレントやスポーツ選手を見ても、自分を卑下することがなくなる。
ほっておくと、えらいことになるで。こんな時代に愛や恋やと歌うのは頭おかしいのとちゃうかとか、スポーツで勝ったぐらいで喜ぶのは愚の骨頂などと思うてしまう(ほんまは歌聞いて泣いたりするくせに)。
自信がつけば、「おまえらもがんばれ、おれもがんばる」とゆえるようになる。寝ていても、起きていても、夢を見ているほうが楽しいもんや。
とにかく、何か困ったことがあったら、自分で解決せえよ。それでは。

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