通りすがりの言葉、あるいは「友だち以上恋人未満」

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「通りすがりの言葉、あるいは『友だち以上恋人未満』」 
みんな、卒業おめでとう。とゆうても、毎日ソーラー電池時計が止まってしまうような、うっとうしい天気の人もおるやろけど。
就職できないのはほんまに同情する。社会に出てもフツーの道に進めないのは辛い。
よっぽどの才能がないかぎり、まずはサラリーマンになって、それから、芸能界やスポーツの世界に行ったり、サラリーマンは向いてへんからと「一国一城の主」をめざしたりすすわけや。中には、都会はいやや、田舎に帰ろうと思う人もいるやろな。
今また人気の坂本龍馬も、「発達障害」でフツーの侍が勤まらへんことがわかって(朝起きられへんのと寝小便が直らんかった)、自分の生き方、自分の役目に目覚めた。
若いもんの人数が減っているのに就職先が少ないのは、なんぼ不況でも企業の余裕がなくなっているからやな。
確かに「世界のトヨタ」も少しボディーがきいてきているようや。トヨタの御曹司も、柴田錬三郎かゆうぐらい口角を下げて謝っているもんな。
口角を下げたいのはこっちやと、みんなもゆいたいやろ。この前話をしたある大学新4回生は、「誰か暴動を起こしてくれませんかね。ぼくもやりますわ」とゆうていたけど。
おじさんのときは、マスプロ教育でも、とりあえず就職口には困らんかった。
「マスプロ教育」ってなんですかてか。「見えすぎちゃって困るの」や。それはマスプロアンテナやがな。
あっ、みんな引いてる。何?人が困っているときに、おちゃらけゆうのやったら帰ります?
ごめん、ごめん。もうゆわへんから。これでもだいぶ反省しているねん。
昔のバブルのときは、毎月ブラジルのおばさんの遺産が入るようやったとか、今年(2010年)もバブルと思えとか、若い人の神経にさわることはゆわへんようにしているから。
みんなも、早く社会に出てゆきたい、あるいは、早く社会に慣れたいと思うているやろけど、社会や世の中やゆうても、みんなより少し早く生まれたもんがいるだけや(アバターの星とはちがう)。
一言でゆうたら、学校のホームルームとそっくりや(しかも、小学校の)。
誰かがおもしろがって(サービス精神旺盛のやつが)、「誰々君はこんなことをしました。反省してほしいと思います」てなことゆうと、ゆわれた当人は、顔を真っ赤にして、「そんなことをしていません。そういうことを言うなら、きみは、こんなことをしました」(まるで、「チン*の蹴りあい」や。これもすんません)。
マスコミでも、世論とかゆうのでも、そうゆうことがいっぱいある(「今、そんなことゆうているときやないやろ」と思うもんを、「親の敵」のように取りあげる)。
国会でも、「歴代の総理大臣の証人喚問をせよ」、「まず小沢と鳩山だ」てなことばかっかりやろ。
ぼくも、中学生のホームルームで、ある女の子のパンツが破れていると言いふらしたと告発された。
それは冤罪です。確かに友だちから聞いたが、「不幸の手紙」みたいに、誰にもゆうていないし、そんなことに興味もなかった(興味が出たのはそれから一年後だった。なんのこっちゃ)。
せやのに、じっと聞いていた担任は、「まだ毛ぃも生えていないのんを見てもしゃあないやろ」と話を笑いで収めたが、これで反論できなくなった。
それから50年立ったが、このまま冤罪のまま死んでいくのか思うと、あのとき見といたらよかった。
社会、世の中は、こんなもんやで。しょうもないことには関わらんと、自分の実力を貯めることや。
朝青龍も、頭下げてきたら、復帰させてもええゆうような雰囲気があるようや(売上げが心配なんやろな)。
実力をつけるためには、これも学校気分の「友だち以上恋人未満」を応用しいや(ぼく自身は、ずっと「友だち以下」の評価の存在やったけど)。
自分のことや、自分の今の状態だけでなく、人の評価でも、決めつけるのではなく、ある程度の幅をもって見ることや。いつかは、何かが、「恋人」に昇格するかもしれへん。
今、思うようにいかへんでも、授業以外でおぼえたことを思いだしとき。
自分も、社会・世の中も、そんなことでできているんやから。

 -