旅立ちの季節

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「旅立ちの季節」
この前、4才の孫娘に3か月ぶりに会うた。母親である次女からは、反抗期みたいで口が悪うなったと聞いていたので、どれどれと楽しみにしていた。
ちょうどイギリスの高貴な子供にシャーロットという名前がついたことがニュースになっていた日やった。
それで、「おお、マイシャーロット」とかましてやったら、すかさず、「何でやねん。ちゃうわ」と来た。
映画の井筒監督が、インタビューなんかで、しょうもないことを聞かれると、「知らんがな!」とゆうけど、吐きすて具合がよう似ていた。
孫は今年から幼稚園に行っているから、言葉数も増えるやろ。これからおもろい漫才ができそうや。
せやけど、言葉は便利やけど、諸刃の剣でもあるので、それに気づくのはちょっと時間がかかる。
前にも一度書いたけど、イオンにあるトンカツ屋にいたとき、若い夫婦と子供二人が隣のテーブルにすわった。子供がたわいもない話をして親が相手をするどこにである「家族づれ」やった。
しばらくすると、4,5才ぐらいの長男が、弟に、「ママなあ、パパのおちんちんさわっていたんやで」とゆうた。その夫婦も、ぼくら近所にすわっていた客も一瞬凍りついた。
子供は調子に乗って、「パパもなあ・・・」(これ以上は、どこで大人が聞いているかわからんからやめとく。大人しか読んでないか)。
もっとも、途中で、父親がその子供を抱えて外に連れていった。
料理を待っていたぼくらも、「今日は忙しかったなあ」とか、取ってつけたような話をするしかなかった。
当の母親も、料理がまだ来てないので、下の子供の相手をするしかなかった(顔から火が出る思いやったやろ)。
いろいろな意味で気をつけやとゆうわけやけど、子供の言葉でも、大人を右往左往させる力を持っているとゆうことや。
ところで、どうなんやろな。言葉の成長と心の成長とは同じもんやろか(心は成長なんかせえへん。見聞きして変わるだけやと思うけど)。
とにかく、子供は、いずれ大人になる。言葉でも何でもよう知っているもんが必ずしも立派な大人ではないこともありうる。
立派の意味はいろいろあるけど、立派な大人もそうでない大人も、生きるのに必死や。相手をいじめることもある。
この前も、えらいいじめがあった。わざわざ新聞にチラシを入れて、「他店徹底抗戦。他店のチラシを持参ください。同じ割引をします」と書いていた。しかも、1人ではなく、何人もや。
いや、イオンの近くにヤマダ電機ができて、近所のエディオンやジョーシン、ケーズデンキが新入りをつぶそうとしていただけやけど。
ヤマダ電機も、横に大きなイオンモールがあるのに、それを一切書かずに、近所のもんしか知らん特定郵便局の近くと書いていた(グーグルマップは公共の建物しか載せていないからやろ)。
ヤマダ電機も(もちろん、他の電気屋も)、よそでは新入りをいじめているはずや。みんないじめたりいじめられたりして大きくなる(ただし、電気屋のパイはだんだん小さくなっているようやから、必死やろけど)。
ツバメが店の照明に巣を作っている。三つあるけど、三つともにせっせと作りはじめから、パナホームみたいな共同住宅になるのかと思うていたら、二つは途中で止めて、一つだけ完成したようや。
気になってずっと見ていたら、人間の職人より休憩が長い。朝働くと、夕方まで来ない。
ツバメは、メスが巣作りをするようやから、それなら、どこぞのツバメと暮らすのかと思うていたら(誰も笑うてくれへんけど)、オスが近くの電線で見張っているから、まともな夫婦の新居らしい。
ツバメが人間の近くで巣を作るのは、外敵から身を守るためらしい。それと、巣を作るときフンを落とさないも、人間に好印象を与えるためとちがうか
ビルの大家も、「困りましたなあ。ツバメに悪さするのもなあ」と困り顔や。
ぼくも、子供が生まれたときのことを考えたら頭が痛いけど(今度はフンまみれやろ)、ツバメに恩を売ったら、ほんまにええことあるんやろか。
孫が女ばっかり4人いるけど、こうなったら、自分の孫のように思わなしゃあない。漫才はでけんけど。

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