ストレス

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「ストレス」
離婚や死別でつれあいと別れると脳卒中の危険が高くなるとゆう調査が出ていたけど、世の中そう単純なものではないやろ(自分がそれを望んでいるわけやないで)。
今注目を浴びている片岡愛之助は次の女ができると、今の女の家から「フェイドアウト」するクセがあるらしいけど、されたほうは血圧も高くなるのはわかる。
また、「おまえ百までわしゃ九十九まで」とゆうけど、それくらい仲がよかったら、相手が死んだら辛いやろ(ここで確認しとくけど、「おまえ」は「おまえさん」で、男を指している。「わしゃ」は女、つまり、嫁はんのことや。関西弁は昔の名残が満載で、田舎のおばあは、たいてい自分のことを「わし」とゆうていた。昔人気があった漫才の木村栄子は、ゴリラのような顔で、「お客さん、わし、べっぴんでっしゃろ」とゆうていた)。
話が明後日のほうに行ったが、きょうび、「こんなやつと一緒にいたら、えらいめにあうわ」とか「いつまで介護せんとあかんねん」と密かに思う人もいるやろ(くどいようやけど、懸命に介護している人もいる。昔は、「あそこの嫁は、6年半介護した」とゆうのが褒め言葉やった。当時は、まだ「介護」とゆう言葉は一般的やなかったけど)。
老後にいろいろ起きるのは長生きのおまけかもしれんが、当面のごたごたで体の調子が悪くなっても、2,3月もすると、「だんだんよくなる法華の太鼓」とゆう言葉どおり、心身が若返る人もいる。
ただ、それは、ちまちました人間関係、家族関係でのことやけど、人間がいかにちっぽけか分かるようなことの前ではストレスどころの話やない。
今回の地震のようなことが起きたときは。無我夢中やろけど、それがいつまでももたないのはマスコミで知るとおりやから、国や行政が早く手をさしのべる必要がある。
フツーの生活でストレスを感じるのは、家族や近所などとの人間関係だけでなく、社会そのもの、時代そのものが相手のこともある。
鶴田浩二のように、「今の世の中、右も、左も真っ暗闇じゃござんせんか」やな。
この場合、社会が変わってきているに、自分が取り残されただけかもしれん。
ぼくも、今振り返ってみると、「あれか」と思うことがある。
30年ほど前、会社があった大阪の天満橋に、「サブウエー」とゆうサンドイッチ店ができた。
「ドトール」や「スタバ」には慣れてきていたので、「へえ、アメリカのサンドイッチ屋か」と入ったものの、「いらっしゃいませ。バンズはどれにしましょうか。肉や野菜をお選びください。香辛料の種類は?」と来た。
ぼくは棒立ちになったが、「いらんわい」と出ていくのもなんやから、「テキトーに」と小さな声で答えた。それから、一度も「サブウエー」に行っていない。
当時は、「こんな不親切な店はない」と思うたが、今やサンドイッチ店だけでなく、ある意味社会そのものが、「サブウエー」化している。
それは結局、コンピュータ社会ということなんやな。しかし、ぼくはコンピュータが好きで、特に、知らないコンピュータ用語を覚えるのが趣味やけど、社会には、「いつものあれ」を期待してしまう。
後何十年もしたら、ぼくのような人間はいなくなり、条件、設定、適用を瞬時に区別できる人間ばかりになる。
しかし、こんなことでストレスを感じるのはあほらしい。愛之助のように、「フェイドアウト」するのではなく、慣れる努力をすることが必要や。ストレスに強くなるためには、それに向かっていくことと見つけたり。
明日、スーパーで最近増えたレジの精算機に挑戦してみよう。どうして払ったらええのかわからんので、1台だけある以前のレジに並んだからな。「なんで支払いまで客にさせるねん」とぶつくさゆいながら。

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