生活力(1)
今日も、ムーズが降りて来た~きみと漫才を~
「生活力」(1)
介護によって引きおこされる事件があとをたたへん。
介護コンサルタントして、いろんな病院・施設を回っているけど、看護師・ヘルパーの虐待は少なからずある。いつも、ピシャ、ピシャという音が聞こえてきて、早うこんな仕事をやめたいですとゆう若いヘルパーもいた。
汚いことをする、うろつきまわるゆうて、手を縛ったり、部屋に鍵をかけたりする病院も多い。
80、90と長生きして、最後はこれかと思うと、他人事ながら情けいないな。
介護保険の費用とは別に、20万円ぐらい出しているのに。しかも、「ホテルコスト」とか称して、費用もどんどん上がる。
ほんまのホテルやったら、「ようこそいらっしゃいませ」ゆうて歓迎してもらえるけど、「そんなことしてたら、家の人にゆうで!」と怒鳴りつけているヘルパーもいる。精神病院が土台の老人施設が、そういう傾向がある。これ以上はゆわへんけど、一生懸命やっているところも多いのはまちがいない。根本は、組織の問題や。
家でも、「老老介護」とゆわれている現状がある。長生きはめでたいことやけど、たいへんやな。
誰でも、介護なんか受けたくないなわ。ある程度生きて、ぽっくり行きたいけど、医学が許さん。医学は、生かすことを本命としているからな。
しかし、誰が見ても、「こりゃあ、だめやな」と思う人が、ものすごう回復する人もいる。
やはり、人間は、気持ちの持ちようが一番や。元気なときは、「生活力」とゆうてやつやな。
そこには、いろんなものが含まれている。男やったら、「甲斐性」とゆうやつやろか。
まあ、ぼくらには、一番弱い言葉やな。「女の一人や二人囲うのは、男の甲斐性や」と使われる。関西の電気王は、外の子供数人に、それぞれ何億とゆう遺産を残したし、ブルドーザーとゆわれた総理大臣も、あの有名な娘が、金を渡して、スパッと縁を切ったそうな。
嫁はん連中は、ぼくらに、「こそこそせんでもええ。向こうにしたように、わたしにもおんなじことをしたら、別にええよ」とおっしゃる。ショボンとなるしかない。
その点、女の生活力は、バラエティー豊かや。その中心は、度胸や(「厚かましい」だけやとゆう意見もあるけど)。
ぼくは、今、事業の復活をめざしてしているところやけど、まず事業の前に、生活の復活やと、みんなにハッパかけられている。ほんまスパルタ教育や。
子供のときは、おばあちゃん、学校に上がれば、先生に何でもやってもうた。
社会に出れば、社員がやってくれた。いや、やらせた、か。
最初は、銀行のATMや、コンビニのコピーを使うとき、後ろに並ばれると、もう頭が真っ白になって逃げた。最近は、よう使うとこは、何とかなるけど、初めてで説明書を読まんととこは、もうお手上げや。しかし、スパルタ教育は、さらに続く。