プレスリー(1)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「プレスリー」(1)
8月16日は、プレスリーの命日や。29年前に42歳で死んだけど、まだ生きていると信じているファンがおるらしい。
日本を脱出して、チンギス・ハーン(よう名前が変わる)になったとゆう伝説がある源義経と一緒なんやろな(キリストも、日本に来て、東北のどこかに墓があるゆわれているけどな)。人は、ヒーローに、自分を重ねるから、簡単に死ぬことを許さへんのや。
プレスリーは、黒人の歌(いわゆる「魂の叫び」とか「白人に対する反抗」とか)を、若い白人の歌にしたとゆわれている。ビートルズが、「団塊の世代」に共鳴されたようなもんか(ビジネスも、世代とか層とかを代弁すると成功するで)。
プレスリーが生まれたのは、アメリカの南部やから、ものすごう保守的で、黒人のように、腰を振って歌うのは、反発を受けた。当時のフィルムが残っているけど、白人の女の子は、口に手を当てて、信じられへんもんを見ているとゆう様子や。結局、テレビには上半身しか写ってへん(HGは、股間アップやけど)。
ぼくにとっては、歌詞が大事やから、つまり、リズム感がないから、プレスリーのブルースが好きや。「ラブ ミー テンダー」や「アー ユー ロンサム ツナイト?」もええけど、「キャント ヘルプ フォーリング イン ラブ」(「好きにならずにはいられない」とゆう歌や。「愛さずにはいられない」は、レイ・チャールズ)。
プレスリーが、「ワイズメン セイ~」と、甘く静かに歌うと、高校生やったけど、せつない思いが形になったようで、しびれてもうた(もっとも、蓄音機も、ウォークマンも持ってなかったから、ラジオから聞こえてきたときやけど)。
日頃歌わへん、いや歌われへんもんでも、心には、歌がしまってある。
ぼくも、60を控えて、いろいろ心の整理をすることがあるけど、ぼくのテーマソングとして、三つの歌(何でも、三つにするのが好きや)を決めとる。「初恋」、「岬めぐり」、そして、「チャンチキおけさ」や。
流行ったときと、ぼくの成長とは反対の流れや。つまり、「チャンチキおけさ」は、小学生の頃や。「チャンチキおけさ」の3番の歌詞は悲しいで。「夢を持って故郷を出たけど、今は、わびしい酒を飲まんとあかん」ゆう人生失敗の内容や。あの時代は、だあれも、そんなことを気にせず、日本中、「チャンチキおけさ」が流れていた。途中で、挫折したぼくの心にぴったりや。今は、「スピッツ」がええなあ。
ところで、ジョン・レノンは、ビートルズがアメリカでも人気が出てきたとき、プレスリーに会って、ぼろくそに批判したらしい。
これは、「とても自分には太刀打ちできない」とゆう気持ちの表われのような気がする。
ジョン・レノンは、プレスリーをプロデュースしたいとゆう気持ちがあったらしいからな。三島由紀夫も、太宰治が大嫌いやとゆうとった。
「自分が、笛を吹くことができたら、借金取りに、返したくても返せない、この思いを伝えられるのに」とか、煙草屋の娘に「今キスしてくれたら、結婚してやるぞ」とかゆう表現は、三島由紀夫にとって、我慢でけんかったと思う。せやけど、文学者としては認めざるをえなかった。三島由紀夫は、また日本に来たビートルズを聞いて、「しょうもない」ゆうた。
才能あるものは、反発するんやな。ぼくらが、男前を見て、「何や気にくわんな」ゆうようなもんか。気乗りせずまま次回へ。