ペット
今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「ペット」
前回、ムーズを書いてくれた近所の猫は、気取っているけど、世の中を、なかなかよう見とる。
彼女がゆうてた猫好きの奥さんは、ぼくも知っとる。
家には、拾うてきた猫を、10なん匹と飼うてる。そのうち一匹が、ガンになって、大変らしい。毎日病院にいかんとあかんから、ペーパードライバーを返上して、車で送迎や。そして、人間並みの、いや保険がきかんから、それ以上の費用らしい。
ここまでいかんでも、猫や犬に、ものすごう執着(愛情か?)する人がいる。
ペットについて考えると、アメリカの作家スタインべックの「二十日鼠と人間」とゆう短編小説を思い出す。
スタインゲックは、ノーベル賞までもらっているけど、内容が暗いから、アメリカでは、あんまり評価されてへん。この小説も、そんな内容やけど、登場人物のレニーとゆう大男は、頭は、子供並みやけど、仕事は、人の2、3倍働く。そして、二十日鼠をかわいがりすぎて、絞め殺してしまう。ぼくは、昔から、この男が、気になって仕方がなかった。
好きな女の子に、素直に言えんで、邪険にしてしまうようなところがあったからな。
ついでにゆうたら、動物を虐待するのと、異常に執着するのは、根は、一緒やと思う。
前回、人間の心は、いろんなものが入っている福袋みたいなもんやとゆうた。
もともとある善意や悪意を、どう出すか、どれぐらい出すかが、その人の個性や。
どんな悪人でも、善意を出さんとあかんらしい。バブルのとき、地上げ屋で悪名高かった人は、悲惨な最期を迎えたが、何十年と、匿名で、福祉施設に寄付をしてた。
血液検査で、体の様子がわかるように、ペットへの執着で、心がわかる。
猫や犬は、打算や裏切りをせえへんやろ。大阪の難波の路上で、ホームレスの人と眠る犬も、東京の田園調布で、大邸宅の暖炉の横で遊ぶ猫も、同じように、飼い主に感謝して生きていると思う。
せやから、自分の善意を、ペットに惜しげもなく出す人がいるんやろ。
虐待する人は、それの度が過ぎて、疑いを知らんペットに、イーッとなってしまうんか。なんで、その人が、まわりの人に愛情を自然に出せなくなったのか。まあ、いろいろ事情があるんやろ。
ようするに、ペットは、飼い主の心を映す鏡や。ペットも、人の善意を受けとる役目をしているんやな。
おもちゃ屋で、「ミッキーマウスのメスをくれ」ゆうて、ミニーを買うおじいちゃんも、孫に、愛情を惜しげもなく出しているんやろ。
ぼくのペットは、パソコンか。思てることを、なんでも受けとってくれる。せやけど、一言も忘れず、全部覚えているから、腹が立ってくることがあるけど。