温故知新(1)
今日も、ムーズがやってきた~漫才を~
「温故知新」(1)
「うんこじしん」と読まへんで。そんなふうに読んだら、「『うんこしているとき、地震が来る』といった、ややこしいときに、ややこしいことが起きて、慌(あわ)てふためく様」になってしまう。「温州(うんしゅう)みかん」とゆうさかい、読めんことはないけど、やっぱり「おんこちしん」やな。当たり前やてか。
辞書には、「古きをたずねて、新しきを知る」=「昔の物事を研究し吟味して、そこから新しい知識を得ること」と書いてある。
そうやったんか。ぼくは、古いことも、新しいことも、いろいろ知っとけゆう雑学の心得と思うてたけど、そうやないんや。
「温故知新」とは、古いことから、ほんまの意味を得ることなんやな。それが起きたときは、ごちゃごちゃしているから、事情が、ようわからん。何十年、何百年立つと、その影響や結果が見えてくるから、それのほんまの意味がわかるとゆうことか。
今は、社会の基盤ががたがたしていて、どっちへ行ったらええのんかわからんときやから、この言葉が考えてみぃへんか。
まるで、地震が来ているようや。それやったら、「うんこ・・・」でも、「おんこ・・・」でも、どっちでええか。
せやけど、「歴史は繰りかえさへん」ゆうのが、日本人の考えや。社会としても、個人としても、「今は、昔とちがうから、参考にならん」と、古いことを無視したり、ばかにしたりするからなあ。
とにかく、今回は、経済のことを、「温故知新」するわ。経済とは、結局、ぼくらがやっている商売の全体やろ。
確かに、社会は、景気がよくないとうっとおしい。5,6年前、大阪で、タクシーに乗ると、運転手が、「最近、街の中で、ようけんかしてまっせ」とゆうとった。
こうゆう時に、商売人や商売の姿が見えてくる(人間でも、物事でも、ややこしいときにこそ、正体をあらわすもんや)。