盗み見

   

今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「盗み見」
何か人の秘密をさぐろうとするためより、人が、何をしているか、こそっと見ることが、快楽としか思えない人が、昔からいる。
偏見かもわからへんけど、女の人に多いような気がする。
おばから聞いた話では、昔、隣のおばあちゃんが、塀や勝手口から、しょっちゅう家を覗いていたわと笑ろとったな。
その後も、こういう話を、よう聞くから、こういうことは、娯楽の一種かなと思える。
三島由紀夫が、川端康成に、自分の母親を紹介したとき、川端が、じっと見るもんやから、母親が、閉口したとゆうことや。また、寺山修司は、他人の庭に入って、捕まったことがある。他人を見ることは、何か創造性とつながっているかもしれんな。
また、若い女性の部屋を、一日中カメラで見るネット商売もあるし、覗きショーゆうのもある(「パリ・テキサス」ゆう映画では、探していた妻が、そういうショーに出ている場面があった)。
動物園に行くのは、なんでやろ。これは、「家族団らんの覗き」ゆうたらおこられるか。
男は、小学の頃から、自分が、透明人間になったら、どうする?と想像したり、友だちと話をしたりするもんや(これも、「ヰタ・セキスアリス」の王道か)。
ところで、みんなは、盗み見は、好きなんやろか、好きやなかっても、してしまわへんか。
たとえば、車の運転をしているときは、まわりの車の動向を把握することが、安全運転には不可欠や。
だから後ろの車の人がしていることを、仕方なしに(?)見ることになる。
鼻くそをほじる(必ず窓から、ほうるで)、鼻毛をぬく(この前は、はさみで、ミラーを見ながら、切っている人がいたな)、髭剃り(朝は、忙しいもんな)、カラオケ(あの首の振り方は、演歌やな)、化粧(ようずれんこっちゃ)、新聞・雑誌(勉強家や)、食事(腹がへると、いらいらするもんな)、ケータイ(ケータイを、袖に入れて、後頭部をかいているふりをして、話をする。うまい手を考えたな)、ときには、チューをしているアベック(古いか)がいる(ちょっと辛抱しいや。運転「チュー意」や)。タバコ(女性は、ほんまにうまそうやな。くわえタバコも、さまになってるわ。せやけど、窓から、ポイッはやめてや)。
そうゆえば、ぼくは、以前から、車に、ティッシュの箱が置いてあるのを見ると、どきどきする。他人の家を見るようでな。車に、サルーン(応接間)ゆう名前をつけているのがあるから、みんな、車でも、家の中とおんなじことをしているんやろか。
もちろん、ぼくも、人を見ているのを見られているやろ。「目つきの悪いおっさんが、なんか見てるで」と思われているやろな。
ぼくも、「見るべき程のことを見つ」(平知盛)と心がけている。
でも、「見る」と「見える」はちがうはずやけど、「見える」ことへ頭が行ってしまうのは、まだ人間ができてへんからやと思う。でも、おもろいな。

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