二者択一
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「二者択一」
「今日は暑いな」あるいは「えらい冷えまんなあ」などと挨拶をして、「ところで・・・」と話がはじまるもんやけど、最近は、天候のことが話の本題になることが増えた。
元々、地球の主人公は、「自然」やから、それでいいのかな(野党から与党になった政党が暴れるようなもんか。ちょっとちがうか)。
今後も、ええ頃合いの暑さ、寒さですまんようやから、こんなことが続くんやろな。
せやけど、暴君も年がら年中怒ってないやろ。機嫌がええ春や秋に、自分の人生を楽しまなくっちゃ。
以前、結局、人生は「二者択一」の結果やとゆうたことがあるけど、ちょっと捕捉したくなった。
今は、「変な童話」しか興味ないけど、そろそろ秋が近づくと、今年はどうやった、これからどうしようと考えるようになるので、その準備や。
とゆうのは、70ぐらいのおばちゃんを知っているのやけど、いつも妙な「二者択一」をゆうので、まず「二者択一」の設定そのものに気をつけることが大事やと考えるようになった。
そのおばちゃんとお金のことを話しているとき、「私はな、サラ金から金を借りるぐらいやったら、デパートで置きびきする」とゆうた。
別に金に困っているわけやないけど、こんなような「二者択一」がどんどん出てくる。
発想がユニークとゆえばユニークやけど、どうも固定観念が強すぎるような気がする。
今日(8月25日)、どこかのテレビ局が「24時間テレビ」とゆううさんくさい番組をしているけど(司会をする「嵐」には、5000円のギャラ出るとかゆわれている)、おばちゃんの障害のある息子が出るのや。
ところで、各地域で段取りをするのは、その系列のテレビ局の営業ではなく、その系列の新聞販売店のようやな。
一昨日、その販売店のもんが、おばちゃんの家に来て、「担当者が急に辞めて、予算が半分になったので、あの黄色いシャツや弁当を全員に出せない」とゆうたそうな。
話から判断したら、担当者が金の持ちにげをしたようやけど、ほんまかいな(この系列は、どこもうさんくさい)。
おばちゃんは、「出演させてくれと私のほうから言いましたか。おたくからぜひゆうので、みんなに頼んだんですよ」とまっとうな返事をしたそうやけど、ぼくに顛末をゆうたときは、「新聞配達するもんは大体刑務所から出てきたもんやからな」と来た。
そんな話はなんぼでもあるけど、もうやめとくわ(ちょっとえげつないのがあるからな)。
「二者択一」の話に戻ると、人生においては、ゲームのように、自分の前の道が分かれていて、「どっちの道を行こか」となるのは少ないのや。
まあ、わかりやすくゆえば、「どっちの彼(彼女)を選ぼうか」ゆうときには、「どっちもやめる」と道が隠れているようなもんや(両方もええね)。
結局、「二者択一」の良否が人生を決めるのやな。まずはその練習や。
「一人で、コンドーム買うのと、入れ歯接着材を買うのとどっちが恥ずかしいか」はどうや。
20代で、接着材は辛いな(太宰治は30で総入れ歯やったそうやけど)。70.80でコンドームを買うと、「おまえは上原謙か」ゆう目でみられるで。
あのおばちゃんのようになってもうたけど、その時の自分の感性を大事にして、ええ「二者択一」を考えることや。もう秋」やで。