何かが人生についてくる(1)
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「何かが人生についてくる」(1)
先日、免許切替えをしてきた。60近くになると、誰でも、あと何回できるのやろかと思うらしいな。
70になると、また別の検査があるらしい。わしゃ元気や思うていても、「ご主人、そろそろ免許の返上をしてもらえませんか」、「何をゆうんや。車のない生活をせえゆうんか」、「まあ、そうゆわんと。電車やバスの半額パスを渡しますんで」てな「やりとり」が全国の警察であるようやな。
高速道路などを逆送するのは、認知症の疑いがあるとゆうことや。検査結果で、警察で説得されたら、どうする?
男は、名刺がなくなると、がたっと落ち込むことが多いそうや。その上、免許も取り上げられると、どんな気持ちがするのやろ?
「そんなん絶対いやや」ゆうて、スズキの「セニアカー」に乗るようになっても、未練たらしく免許を持ったままのもんがいる(ぼくも、その口やろな)。
昔、車で走っていると、前の車が、がたっとスピードを落すことがあった。
「何すんねん」と、横を抜いて見ると、おっさんがケータイをしている。運転とケータイが同時にでけんもんは、生意気なことをするなと思うていたけど、案の定、法律で規制されるようになった。
確かにケータイに夢中になっていると、曲がらんとあかんとこをまっすぐ行くことがある(意識が話のほうへいってしまうのやな)。せやけど、最近は運転しながらメールしているもんがいるけど、こっちのほうが危ないような気がする。
もし、ケータイが交通事故の原因やなかったら、禁止はなかったはずや。
ついでにゆうと、シートベルトをせんでも、警官が注意するのはええけど、罰金を取ったりするのはおかしい。
「踏切で止まれ」ゆうのもおかしい。それやったら、青信号でも止まって、左右を確認するべきや。
それより、停車するときは、ハザードランプをつけること(パトカーでも、指示ランプで止まっている。指示ランプは、曲がるときやろが)。
また、障害者用のエリアに止まっている車は厳罰にすること。
とにかく、車は、おとなのマナー=「人づきあい」ゆうことを教えるべきや。
ぼくは、ケータイでも踏切でも捕まったことないけど、これだけはいっぺんゆいたかった。
(「中島らも」は、大麻で捕まったことがあるけど、出所後、「大麻のどこが悪いねん」と、本に書いていた。意地を通すのはしんどいな)。
とにかく、交通違反で捕まったら、「運が悪かった」と思うやろ。
スピードの場合は、「車の流れ」があるから、高速道路で、複数台が150キロで走っていても、パトカーには捕まらへん(オービスはあかんで)。
「ネズミ捕り」は先頭の車だけを捕まえるから、「わしだけやない。みんな飛ばしているやろ」と、横をびゅんびゅん飛ばす車を見ながらゆうても、「後の祭り」や。
運転でも、人生でも、運・不運がついてまわるのは、みんな経験しているとおりや。
次回は、それを冷静に考えよう。「ご主人、ええ年しているのに、事故を起こす性格は直ってまへんなあ」と警察でゆわれてきたところやのでな。