名なしのごんべい
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「名なしのごんべい」
今、「市橋」ゆう苗字の人は肩身が狭いやろな。
病院かどこかで、「市橋さ~ん」と呼ばれたら、その場がざわついて、誰やろとゆう視線が、サーチライトのように動きまわるはずや(個人情報何とかで、番号で呼ばれても、受付がプッーと噴きだすかもわからん。そっちのほうが傷つく)。
大昔、京都の貧乏学生のとき、本願寺さんの近くの旅館でバイトをした(今はしらんけど、京都の学生は、金に困ると旅館のバイトをしたもんや。食べるもん、寝るところは保証されるからな)。
修学旅行や団体がいないときは、大広間を木賃宿みたいにして、個人の客を泊まらせていたんやけど、「オオクボさん、いらっしゃいますか」とゆうマイクの声が聞こえたとき、「オオクボやて」と、客全員が大笑いしたのをおぼえている。
あの大久保清が捕まったときや。「ぼくちゃんの絵のモデルになってくれませんか」ゆうては、親に買うてもうたスポーツカーに連れこみ、ゆうことを聞かん娘を次々殺した稀代の色魔や。
もちろん、有名人と同じ苗字なら(同姓同名なら尚のこと)、そのうっとうしさは一生つきまとうやろ。
世間は、苗字に、有名人なんかのイメージをパンパンに詰めこむから、フツーの人が、その苗字やったら大笑いせんとしゃあないのやな。
数年前、父親と母親がばたばたと死んだので、相続のことで「原戸籍(はらこせき)」を取ったことがあるけど、ぼくの家の家系は江戸末期には苗字があったようやけど、その前には、単に源助とか為吉とかゆう名前しかなかったと思うわ(いよいよ卑弥呼は関西人と断定できそうなところまで来たようやけど、あのころから苗字がある家はそうないやろ。
雅楽奏者の東儀秀樹の家は、聖徳太子の時代からの家系図があるらしいけど、聖徳太子そのものは実在していたどうか不明や)。
せやのに、ぼくには変な自尊心があって、自分の苗字にこだわりがあった(それが、人生を狂わしたか)。
今考えたら、「鈴木・佐藤は犬のくそ」とかゆうていたから、自分の苗字はええ、他の苗字のもんはかわいそうやとなったんやろ。
子供のときから、何か物語を書きたいとゆう夢があったんやけど、いざ登場人物に名前をつける段になると、自分の苗字以外のもんが、「しゃべる」のは許されへんかったので、書くのをあきらめざるをえなかったとゆうわけや。
数年前、ぼくの住んでいる市の電話帳を見ていて、ぼくの同姓同名が10人近くいて落ちこんだことがあるけど、今はちがう。
「拙者、高橋甚衛門と申す。加勢いたす」、「黒川美鈴よ。お茶でもごいっしょしません?」
「ワタシ、ロドリゲストイイマス。シャチョーサン、イイクスリアリマスヨ」
ほら、どんな名前でも名乗れるようになったやろ(あほくさてか)。
ところで、今「夫婦別姓」が法律で認めるかどうかとなっているけど、「前の苗字なんやったん?」と聞くと、顔を真っ赤にして、「キャー、恥ずか~」となる女の人がいる(元々の苗字は、もう抜け殻で、中に詰まっているもんを見られるように思うのやろか)。
せやけど、こんな女の人がいた。5、6年前、渋谷の道玄坂に、ぼくの会社の東京支社があった。
酒井法子の主人が捕まり、酒井法子が逃げたところの近所や。そこから、「109」のほうへ下って、昔ストリップの「心斎橋劇場」があったほうへ曲がったところにあるスナックへよう行った。
そこのママが、「わたし、戸籍の×(バツ)を集めるのが趣味やねん。もう5,6つある。わたし、今外人さんよ。×10までがんばるわ」ゆうていた。
バツの数は苗字の数でもある。そのママは、自分から「藤木悠の娘や」とゆうていた(とぼけた役の裏では、自分の娘のことで泣いていたんやろか)。
市橋は、偽名で仕事をしていたときに、突然号泣したことがあるらしい。「名なしのごんべい」やったら、自分も苦しいもんらしいな。