妄想

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「妄想」
今年はいつまでも寒いなあ。松江、新潟、北海道は、ヒマさえあれば雪が降ってへんか(ネコも、「子孫でも残したろか」とゆう気が起こらんようで、夜中静かでええけど)。
ネコはともかく、春は、「張る」から来ているそうで、天地(あめつち)のものがムラムラする季節やから、寒さの隙間を狙って、春らしいことが起きている。
ニュースのトップは、「東京の桜が満開です」で、スカイツリーができたので、みんなはしゃいでいるやないか(この時分は、森山直太朗の「さくら」に続けと、桜の歌がどんどん出るもんやけど、今年はない。ネタ切れか。サクラもない。わかる人だけ笑うてや)。
それにつられて、人の第一歩がはじまる。せやから、春風が吹くと、思い出がにおいとなってよみがえっくる。
ぼくの場合は、小学の教科書のインキのにおいと、高校に入学したときに買うてもろた中古のカブの排気ガスのにおいやな。
母親は入院したままやし、一人っ子やから、どれだけ学校へ行きたかったか(「だあれもおらんかった」とおばあちゃんに聞いたら、日曜日やったことは何回もある)。
バイクも、免許もなしで毎日田んぼ道を走りまわっていた(ぼく史上最速の速度がうれしくてたまらんかったんやろ)。
早う春風が吹かんかなあ。今度はどんなにおいがするやろ。せやけど、NPに失敗したからなあ。
NPて、なんやてか。NP知らんか?NPOちがうで。NPは、「ノーパッチ」とゆうことや(さっき考えた)。「古~いパッチよ、さよう~なら」とゆう意味やな(3月の終わりにNPを敢行したけど、寒くて2日であきらめた)。
日本一の暑がりや思うていたけど、世界一に寒がりでもあったわけやな。
こんなことをゆうから、妄想症とゆうレッテルを貼られているけど、最近、妄想が世間に出てきたようや。つまり、自分の妄想を、ネットなんかでしゃべるもんがいる。
ブログやツイッターなどが出てきたからか、元々自分のことをしゃべりたいもんがいたからか知らんが、この世は、ぼくは・・、わたしは・・、おれは・・、うちは・・、おいどんは・・であふれかえっている。
ところで、夢と妄想はどうちがうのや。実現可能が夢で、不可能が妄想か。胃潰瘍が胃がんに、肝硬変が肝臓がんになるようなもんか(なんのこっちゃ)。
60を過ぎているから、妄想はみっともないと思うけど、春風を待つ間、時間稼ぎをするわ。
5億円が当たる宝くじがあったやろ。ぼくも、少し買うたけど、もし5億円が当たったら、どう使うかを考えている。
女房に1億円やろ、4人の子供と、長女と次女の婿に1000万円ずつを渡して、「好きなように使うたらええ」とゆう。いや、子供らには、500万円ずつのほうがええ。1000万円は、身の破滅になるかもしれん。500万円以上ほしい場合は、何に使うかを聞いてから渡すことにする(ぼくは、義父に保証人になってもらって、国民金融公庫から200万円借りて事業を起こした。親からは一銭も貰うてへんしな)。
せやけど、ぼくのことが、テレビや新聞に出て、みんなに恥ずかしい目にあわせたから、最初から1000万円にして、残りを・・・などと毎晩考えていたら、胸が苦しくなった。
以前、宝くじは、次買うまで調べんかったら、何ヶ月も楽しめるとゆうたことがあるけど、これはでは身がもたんから、近々売り場で調べてもろうて楽になるわ(20枚では当たらんしな)。
ネットでビッグやロト6など見ていたら、みんな、ぼくのような思いで買うていることがわかった(「一攫千金で人生を変えたい」とか「愛人と仲良くね~と言って別れて、毎日エステに行く」とか書いてある)
そして、ぼくには当たらんでも、ほんまに当たって、考えていることができる人がいると思うと、さらに苦しくなってきた。
こんなこと考えていたら、まっとうな人生が送られへんから、もうやめる。
最近、アメリカで、50億円以上が当たる宝くじがあったそうやな(当たったものが名乗りを上げたらしい)。ぼくなら、10億円ずつを・・・。フゥー

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