みんな、どこへ行った

   

今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「みんな、どこへ行った」
「ほんまに行ってもうたな」
「そうやなあ」
「年取ったら、友だちと一緒に暮らすのが夢や、どこで住もうか、みんなで思案しているねん、あんたも、年取ったら、どうするか考えとかんとあかんでゆうとったな」
「わしらのこと、もう忘れてもうたのかなあ」
「それより、帰ってくるかどうかもわからんで」
「若いやつら、あっけに取られてるな」
「わしらも、たいへんやけど、タレントも、ファン取られるわ、コマーシャル取られるわで、えらいやきもち焼いているなあ」
こんな会話が、日本中の酒屋で交わされているやろな。
いや、韓国ブームのこと。韓国人の俳優の名前を、漢字で書かなくなったやろ。あれも、日本人の心理やな。「ペ」ゆうて、どんな漢字やろ。
子供は、ハリー・ポッターたらゆうのに会いに、「魔法の国」に行ってもうたし、嫁はんは、「純愛の国」に行ってしもうたわけや。
ぼくが言いたいのは、韓国ブームとゆわれているけど、「純愛の国」やったらどこでもよかったんちがうかとゆうことや。マスコミでは、韓国ブームばっかりゆうて、なんでこうなったかゆわへん。奥様方は、オバタリアンとかゆわれても、心には、目ぃキラキラの少女は、残ってるねん。
だから、純愛の神は、スワヒリ語を話してもよかったんや。恋人を追って、ライオンなどをものともせず、草原を探し回るんや。ようやっと見つけて、「ジャンボ!」と叫びながら、右手に槍を持って、ピョン、ピョン飛び上るから、「ピョン様」とゆうわけや。アフリカか。ぼくらも、子供時代、「暗黒大陸アフリカ」ゆうて、胸ときめかしたなあ。「少年ケニア」の人気すごかったからな。あっ、嫁はんら、なんかゆうてるで。
「もー、ついてこんといてよ。あんたら、子供時代、宇宙やアフリカやゆうとったやろ。私らは、そのころ、家の用事ばっかりさせられていたんやで。一緒にアフリカに来るってか。モンゴルは、乳臭いだけやけど、インドは、鼻がもげそうで、二度とごめんゆう人が多い。インドガマンできる人でも、アフリカだけはアカンゆうで。この臭いに耐えられるのは、ピョン様への愛しかない。あんたらには、無理、無理」。
韓国は、日本とおんなじ情緒がある。だから、歌謡曲もおんなじや。それに、徴兵制度があるから、別れるシチュエーションがようけある。やっぱりアジアの国が、よかったんか。どちらにしても、日本の男は、あかんしな。「もう一つの国」は、だれでもいるんや。中学の頃、好きな子と、二人で地球に取り残されたらと考えたら、ドキドキしたもんや。あれに近いもんやろか。どんなに「見た目」が変わろうと、気持ちは変わってへんという美しい話や。

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