今年のお言葉(1)
2017/04/13
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「今年のお言葉」(1)
この前散髪屋で、なにげなく下に落ちた自分の髪の毛を見たら、「ごま塩」の固まりやった。
ヘアスタイルには気をつけているけど、えらいとしよりになったとショックやった。
昔たいがいのおじいさんは、家でバリカンで散髪をしていたが、その髪の毛を道端に捨てていた。
子供は近所の散髪屋に行った(丸刈りは60円やったけど、ぼくは、丸刈りが嫌いで、80円で坊ちゃん刈りをした。どちらもあめつきやったけど)。
どうして髪の毛を道端などに捨てたんやろ。歯が抜けてもそうしたし、死んだ人が使うていたもんもそうした。神さんと関係あるのやろけど、今やったら気色悪いやろな。
とにかく、ぼくの髪の毛は、昔落ちていたどこかのおじいさんの髪の毛とそっくりになっていた。
大学生の頃、京都の散髪屋で、どこかのおばちゃんに、「兄ぃちゃんの髪の毛、まっくろけやな」とゆわれたことがある。
爾来40年、人並みにいろいろあったし、いろいろなかったしの人生やった。
せやけど、ぼくの心は熱伝導率がよいので、どんなことにでもすぐ反応するけど、すぐ忘れる。
これで、よう失敗してきたけど、髪の毛を落としたくても、落せないもんがいるもんね~と体勢を整えて、そのへんから「今年のお言葉」を探すとするか。
「人間は、社会的な動物である」とアリストテレスはゆうた。
ぼくは、「人間は、世間からゆわれることを気にする」と解釈している。
どこかの悪ガキに、「おっちゃん」や「おばちゃん」とゆわれると、過剰反応する若いもんがいる。
そうゆわれると、「おにいちゃん(おねーちゃん)とゆわんと承知せえへんで」で、冗談か本気かわからんようにゆう(本気やろ、目が真剣や)。
2,3年前、二十歳ぐらいの男の子に、「おっちゃん、これどうするの?」と聞かれた。
客やなかったらどついたろかと思うたけど、60前やもん当たり前やろ(当たり前ですね、やっぱり。そんなこと気にするぼくがおかしいんですって)。
そして、最近、30ぐらいのんと話をしていたとき、「60ぐらいのおじいさんのクセに・・・」と、誰かのことを話題にした。
ぼくのことではなかったけど、ギクッとなった。逃亡中のリチャード・キンブルの気持ちがわかった。
世間が、ぼくを「おじいさんとゆう日」が近づいてきたようや(この前、結婚している娘二人と飲んでいて、その話をした。「お父さんは若いから、相手は、なにげなくゆうたんやろ」と慰めてくれたけど)。
テレビのロケで、若い女のレポーターが、「おじいちゃん、何をしているのですか」などとマイクを向けることがある。
今やったら、「ゆっくりしゃべるな。よう聞こえとる。大体おまえのおじいちゃんとちがうわ」とどなるような気がする。
そんなことを一番気にするのはおまえやとゆうことがわかってしまったので、「今年のお言葉」は「60ぐらいのおじいさんのクセにして」に決定した。
しかし、今から生まれかわるで。
「いやいや、向こうに渡ろうとしているのけど、車が込んでいてな。
事業を立てなおそうと、こんな田舎に都落ちしたんじゃが、最初はどうもなじめんかった。しかし、「住めば都」とはよくゆうたもんじゃ。
ここでいいのは、こうして車が切れるのを待っていても、街のように、タクシーが客とかんちがいしてとまることはないからわずらわしゅうない。
もっとも昼間タクシーは通らんのでな。けっけっけっ。
どうじゃ、おねーちゃん、仕事が終ったら、2人で一杯やらんか。これがわしのメアドじゃ」
長いわ、このヘンタイじじい。そういうわけで、次回も人生についてタメになる話を。