景色
今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~
「景色」
三浦雄一郎が、エレベスト登頂成功とゆうことで喜んだ、本人が。
「世界最高年令で、世界一高い山からの景色を見たんですよ。なにしろ80才でこんな景色を見たものはいないのですから」
すると、その翌日やったか、81才のネパール人が、三浦の記録破ったろと考えてか、登ろうとしたけどあきらめたらしい。
この人は、年令詐称をしているようやけど、世界中に血の気の多いとしよりがいるとゆうことは、としよりの幼稚園児としてはうれしいかぎりや(ベッドに登るのもしんどいのが多いけど)。
まあ、世界一の景色を見たいとゆうのもあるやろけど、東京に戻ってからの景色を見たいとゆうのもあるはずや。
別にスカイツリーに登ってみる景色やなくて、「わしを見る世間」を見たいゆうことや。
みんなが、胸の前で手を組んで、少し首を傾けて、「すごいわ!」と「キラキラ目」で自分を見るのを見る。本人は、エレベストより高いに天に上る気持ちになるのやろ。
スポーツ選手は、「金メダルを取ったら(チャンピオンになったら)、どんな景色が見られるか楽しみです」とかゆうやろ(100メートルを、日本人で初めて10秒を切るかとゆわれている高校生もそうゆうとった)。
逆に、反対の景色もあるで。芸能人が、何かしでかすと、世間や業界は一斉に引き、さびしい景色が広がっているそうやし、世間の人間も、大それた事件を引きおこさなくとも、痴漢でもすれば、景色はコロッと変わる(家でも会社でも)。
ぼくも、会社をやっていたときは、会社でも、世間でも(腹で何思うていても)、「社長、社長」と呼ばれる景色が広がっていた。
ところが、会社をつぶすと、督促状が山のように来るわ、あちこちから呼びだされるわとなって、「早う払わんかい」とゆう顔の景色が広がったもんな。
それも一段落して、流通センターでアルバイトをしたけど、自分の子供ぐらいのもんから、「アホ、ボケ」と怒鳴られる景色が目の前にあった。
「ナニコレ?」と思うたけど、これは「珍百景」じゃなくて、ぼくが、これから生きていくフツーの景色やったんや(最初は、「これが世間か」と恨んだけど、「まあ、しゃあないか」と思うしかなかった)。
ぼくのことをもう少しゆえば(いつも自分のことばっかりやろてか)、ある共済の掛け金が今年終わる。これで、大金がいるのはすべて終わる。
実家に世間以上の仕送りをしてやっていたけど、それで、父親が、高額の共済に入ってくれていた。
30年満期で、20年は父親が払っていたが、10年ほど前に、両親が相次いで死んだので、ぼくが払う羽目になった。浪人の身で、年30万円は辛かったが、それも今年終わるのや(恥ずかしい額やけど)。
すべての借金が終わった景色はどんなろか。エレベスト登頂ぐらいのうれしさか(世界遺産の富士山にも登ったことないけど。富士山は文化遺産なんやな。ゴミだらけで自然遺産は無理らしい)。
ええことも、悪いことも起きず、それでも、自分のまわりの景色を変えたいと思う人は、旅行に行く。海が誘い、山が微笑む。そして、人が「ウエルカム」と挨拶をしてくれる。
日頃頑張ったからこそ、そんな景色に身を置くことができるのやな。羨ましいと思うけど、僻むことなく、フツーの景色の中に、キラッと光るもんがないか探すもの一興や。
それに、自分が見ている景色は、ぼくの近くにいる人も見ているわけや(その人の視界の中ではぼくの体の半分は切れているやろけど)。
いずれ、ぼくもこの景色から出ていく。この景色の中にあいつはいたなと思いだしてもらえることがあるのかどうか知らんけど、もう、ぼくは別の景色を見ているはずや。
死んだら、ついででええから、インド洋に散骨してゆうているねん。
そこには、ぼくが書いている物語に出てくるイルカやシーラカンス、シャチがいる景色が広がっている。みんな歓迎してくれるやろか。