カタカナ(1)
今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「カタカナ」(1)
戦後、どうせ英語が公用語になるんやから、漢字も、ひらがなもやめて、カタカナにしようという意見があったらしい。
明治時代から、日本人は、最初に、「ハト、マメ」と習ろうたから、カタカナに抵抗がなかったやろうけど、それで、英語を覚えられると思うのは、「赤坂見付」や。
当時は、日本を、4分割される可能性もあったから、日本人に、「うろ」がきてもしゃあないか(それについては、「運命」とゆうタイトルのムーズを用意してるで)。
そうなっていたら、ぼくらも、宇宙人みたいに、喉を震わせて、「ワレワレハ・・・」とゆうとこやった。
そうゆうことで、カタカナは、戦後、主役になりそこねたけど、戦後60年、苦労してへんけど、主役になりつつあるな。
カタカナは、鶴瓶のように、「そこをビャ-と行って、シューと曲がって・・・」とゆうような擬音をあらわすのも仕事や(鶴瓶は、落語家らしく、「ツーと来て、ルーと、木に止まるから、ツルや」ゆう落語のようにしゃべっとるのか。それにしても、鶴瓶は、なんでNHKに好かれとるんやろか。以前は、落語を知らん落語家とゆわれとったけど、最近は、まじめに落語に取りくんでいるからか、気持ちのええタレントを目指している結果か)。
それから、カタカナは、外来語をあらわすために使われるわな。
ぼくが子供のとき、カタカナがすくなかったのは、ハイカラなもんがなかったからやろ。
小学4,5年のとき、友だちが、「ベランダって、何か知ってるか」と聞いたけど、だあれも知らんかった。大体、田舎には2階建ての家なんかなかった。
そして、テレビや。これは、小学のときから、1万回はゆうたカタカナやろな。きらきら輝いているカタカナやった。ほんまは、テレビジョンゆうのやと新聞は書いていたけど、そんなん、だあれもゆうてなかった。
中学のとき、しばらく野球部に入っていたけど、顧問の教師が、いつでも、「バッティング」を「バッチング」とゆうから、カタカナがわからんようになった。
そして、その後、世の中は、「アメリカナイズ」されていったから、会話の中に、どんどんカタカナが入ってきたのは、経験したとおりや。
明治前後は、ローマ字がなかったから、「メリケン粉」のように、アメリカ人がゆうように発音した。ジョン万次郎の世界やな。
もっとも、当時、横浜かどこかの工事現場で、「それは何や」と聞かれたアメリカ人は、「れんが」のことかと思い、「ブリック」と答えたが、日本人は、それを入れるもんを知りたかったらしくて、「れんが」を入れている鉄板は、「ブリキ」とゆうもんや思うたらしいな。100年以上立っても、そのままや。最近は、外人が、まわりにいっぱいいてるもんやから、きまりが悪いのか、途中で変えるようになった。
これから、日本語は、どうなるんやろ。次回も考えるわ。