放送禁止用語(1)

      2017/10/05

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「放送禁止用語」(1)
今年も夏休みがはじまった。子供も、塾やなんやと忙しいやろけど、休みと聞いただけでぞっとするお父さんもいるやろ。
近所に、毎日朝6時ごろに家を出て、帰りはいつかわからんほど働いていたお父さんがいた(こっちは、一杯やってええ気分になっているから、晩のことなんか知らんからな)。
それが、最近は火、水、金だけになっている(しかも、8時ごろ出て6時ごろに帰ってきているようや。子供は中学生、小学生、生後1年ぐらいの子がいる)。
この前、2台ある車の1台を業者が見にきていたとか、夜奥さんがスーパーで割引のもんばっかりをカゴに入れていたとか聞くと他人事ながら辛くなる(父親は、子供にええエカッコしたいとゆう理由で仕事をがんばる)。
その家に田舎があれば、子供を預かってもうて、日頃の疲れを取ってほしいもんや。
田舎には、子供の従兄弟が待っているやろ。子供の頃、ぼくも、従兄弟に会えるのが楽しみやった。
町の子は、日焼けしてへんし、田舎にないおもちゃをもっていたのでうらやましかった。最初はお互い照れて、カブト虫を黙って見せたりしていたけど、翌日は朝早ようから遊んだ。
そして、楽しい日々もだんだん残りすくなくなると、胸が苦しくなってくる。当日、別れるのが何で楽しそうなんやと思いながらも、従兄弟たちが乗ったバスを見送るときの寂しさ・・・。
ところで、ぼくらは、集落のことを部落とゆうていた。学校へも部落ごとに集っていったし、運動会も部落対抗、遊ぶのも部落の子供とやった。つまり、田舎の子供は部落とゆう宇宙で生きていた。
この前ネットで東北のことを調べていたら、若い人がこんなことを書いていた。
「東北では、集落のことを部落と言っているけど、東北にはない被差別地区を、関西では部落というらしいので、部落という言葉が使いにくい・・・」
今年生誕100年とゆうことで取りあげられている太宰治も、青森県生まれやから、「トカトントン」などの東北が舞台の小説には、部落とゆう言葉がよう出てくる。
全国の農漁村は部落とゆう共同体でできていたのやな。明治時代も、戦後の連合国も、部落をつぶそうとしたけど完全にはでけんかった。人間的な結びつきの基やからや。
60になったぼくでも、田舎に帰ると、おまえのおじいさんのお父さんはとかゆわれるし、うっとうしいこともある(昨日も、「おまえとこの畑の草が伸びているのでなんとかせえ」と、田舎の家の近所から電話がかかってきた)。
この前、テレビで、豊岡やったか、川をきれいにしたら、ホタルがもどってきたとゆうニュースをやっていた。
ある人が、「これも、みんな部落の人の協力のお陰です」と、日本海側の人らしく「です」を思いっきり上げてインタビューに答えていた。
それを見ていて、ぼくは二つのことを思うた。
今でも部落に住んでいたら、他の部落の人ではなく、自分の部落の人と仲ようせんとあかんのやとゆうこと。
それと、放送局も変わってきたのやなとゆうこと。今までやったら、差別問題と関係なくても部落とゆう言葉が出てきたら、おのインタビューを出さなかったし、出しても、スーパー(字幕。これはおもろいわ。若いやつが担当しているのか、時間がないのか知らんけど、ようまちごうとる。それを見つけるのが好きや)では、地区とか集落とかにしていたやろ。
とにかく、その放送局は、部落とゆうているインタビューを流し、スーパーにも、そのまま部落とゆう言葉を出していた。
田舎に墓参りにいくような気分で、もう1回つきあって。

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