放送禁止用語(2)

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「放送禁止用語」(2)
ネットで、東北の若い人が、「田舎の集落のことを部落とゆうているけど、関西では同和問題のことを指すらしいので使いにくい」と書いていたとゆうた。
確かにぼくもそうやな。関西で部落とゆう言葉を使わなくなったのは、役所や学校などの公のところは、何かと批判されないためやろし、個人では、変な目でみられたくないためやろな。
せやけど、田舎の子供は、部落とゆう空間がすべてだったので、良きにつけ悪しきにつけなつかしい言葉や。
「君子危うきに近寄らず」のようにして、「部落」とゆう言葉だけでなく、身体的なことでも何でも、「放送禁止用語」がどんどんできてしまったんや。
そして、障害者を見せもんにしたらあかんゆうて、女子プロレスに出ていた小人症の人の仕事を取りあげてもうた。
最近では「特殊学級」は差別やゆうて、「特別支援学級」に名前を変えたんやてな(明治時代は、「落第生学級」ゆうていたんやて。こっちのほうが、からっとしていてええやん。
また、「盲学校」とゆう言葉を残せゆう意見もあるらしいな。自分たちは、目に見えないことを通して成長してきたからとゆうことらしい)
アインシュタインが精神分裂症、織田信長、坂本龍馬、エジソン、ダヴィンチなどが他動やったとゆわれている。今やったら、「特別支援学級」に振りわけられる子供や。
それなら、「特殊能力学級」にしたらどうや。能力を引き出すのが教育や。特殊や特別やと名前なんかどうでもよろしい(エスパーやな。エスパー伊東はお笑いの能力に欠けるが)。
田舎でも、「ちん*の**っさん」とかゆわれている人がいたけど、みんなで助けていた(子供が、歩き方の真似をすると大人が怒ったもんや)。
「合いの子」とからかっても、日本中、鰐淵晴子や前田美波里にあこがれた(鰐淵晴子のヌードは衝撃的やった)。
今も、それが続いている(もし自分のひいじいさんがアメリカ人やったら、言いふらすかもしれんが、アジア人やったら隠すのが日本人やけど)。
「オカマ」とゆわれる人も、今や美のカリスマや。化粧を教えたり、生け花の大家(たいか)になって、引っ張りだこや。
イギリスのヘンリー王子とかゆうのが、自分の軍隊の様子を報告しているドキュメンタリーで、「あそこにパキが寝ている」とゆうて問題になった。
パキスタン人とゆわんと人種問題になるんやて。アメリカのネットでは、今でも「jap」が溢れているし、日本でも、アメ公、露助とゆうていた。
腹立つから、名前の半分しかゆうたらへ~んゆうことやな。せやけど、チョーさん、ノムさん、キヨとゆうから、王子も、自分の部下に仲間意識を持っていたかもしれん。何でも謝れ、謝れでは話は終らんで。
韓流ブームも、「隣国と仲よくしましょう」とゆわれたからとか、今の天皇が「自分たちの祖先は韓国から来た」とゆうたから、こうなったわけではなかろう(よう知らんけど、熟年の心をもてあそんだからか)。まあ、差別ゆうのは、政治的なもんなんやろ。
ところで、部落の中は隣保とゆうもんがある。これがくせもんや。近所の10軒ほどの家が、一つの隣保になって、江戸時代から監視や密告の役割をしていた(昔は一軒の家が逃げると、その隣保が、お上に税金を払う義務があったそうな)。
戦争中は治安維持法の末端組織になった。それで、ぼくのおじいさんの友だちがえらい目におうたゆうていた(今でも、隣保の誰かが死ぬと、すぐに駆けつけんとあかん)。
せやけど、みんな近所の人をこそっと見るのが好きやな。
前回、近所の家の主人の車があるかどうかで仕事の量がわかるゆうたけど、隣保がなくても、やっていることはいっしょや。
今、回覧板が回ってきて、生ゴミにペットボトルが入っていた。心当たりのあるもんは、すぐに引きとらんと、中身調べるぞ、やと。
1ヵ月ぐらい前に分別方法が変ったけど、いっしょにしてもええ市もあるし、ペットボトルが入っているほうが生ゴミがよう燃えるとゆう専門家もいるのに。
お上の笠をかぶるのもほどほどにな。

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