「人の風景100選」の(3)

   

今日も、ムーズが降りてきた~きみと漫才を~

「人の風景100選」の(3)
奥目の岡八郎が、「目は人間の眼(まなこ)なり」とゆうと、どっと笑いが来たもんや。
「馬から落ちて落馬した」や「東京へ上京した」的なもんと似ているようではあるが、ここには、大きな真理が隠されているような気がする。
犬や猫は、怒ると牙を見せて威嚇するけど、同じ哺乳類でも、人間は目で威嚇する(牙を出すと、イタイ人間に見られる)。人間の目には、動物以上の役目があるのや。
もちろん本来の役目もある。「人は見た目が9割」とゆう本が売れているらしい。
確かに、男前を見て「ああ、いやだ」とゆう女の人を知らないから、ぼくのように、後の1割にかけなければならんもんには辛い現実や。
ただ、9割の中には、顔や体の「見てくれ」だけやないのが救いや。
ある若い男のタレントは、おばあちゃんに、「字がきれかったら、賢そうに見える」とゆわれて書道かペン習字を習って、何段かもっているそうや。
せやけど、イケメンが、「てにおは」がおかしいわ、まるっきり読めんわゆう文章を書いていても、9割の中に入っているかぎり、そんなに減点にならんやろ。大体、文章が苦手なもんは、あんまり文章を書かんしな。男前は、どこまでも社会の王道を進めるようになっているんや。
また、性格や特技がきれかったら、「見てくれ」以上に評価されるやろ(イタリアのインテルにいる長友は、「ブサイクな長友が、最近カッコよく見える」と現地の新聞に書かれているように)。
せやけど、ぼくの経験からゆえば、ブサイクのもんが、自分をカッコよく見せるのは並大抵の苦労やないで。まず心が僻みっぽくなっているからな(ぼくの文章を見てもわかるやろ)。
まあ、今回は、そんなことはおいといて、「見るための目」のことを考えよう(もちろん、ぼくも、前から、後ろから、上から、斜めから、白い目をして、人を見てきたのやけど)。
どこかで、知らない女の子(小学高学年ぐらいから高校生ぐらいか)と、何気なく目が合うことないか。
せやけど、ぼくは、今裁判中の舞鶴のおっさんや、「唾くれ」ゆうて最近捕まったおっさんやない。ただ、通りすがりのおっさんやで。
こっちと目が合うと、女の子は、ばつが悪いような、早く目をそらさなければとゆうような、多少好奇心があるような目をする。ぼくは、あの目が好きや(これも変態の一種か)。
これを、「人の風景100選」の(3)にする。
一言でゆえば、フェルメールの「青いターバンの少女」とか「真珠の耳飾り少女」とゆわれている女の子の目や(「眼差し」とかのタイトルでなかってよかった。そんなことされたら、その少女が穢されるような気がする)。
この女の子は、15,6才ぐらいやけど、ノアールの少女のようにふくよかでないし、最近悲しいことがあったAKBの「ともちん」のようにかわいくないけど(整形のようやけど)、あの目に惹かれるのや(年取ると、ゴツイ顔のオランダのおばはんになるように思う)。
振りかえって、少しはにかんでいる目には、いろんなもんが混ざっているように思わへんか。
挨拶をしたり、会釈をしたりする寸前の目の表情や。ぼくは、この目に、だれにもあった人生の第一歩を感じるんや。
これが、数年すると、「なんか用か」とか「文句あるんか」、「ほっといんてちょうだいか」てな目になることもある。
昔、「風呂屋で体全部洗うても30円やのに、目医者で目ぃ洗うてもらうだけで、なんで60円もすんのや」と、確かダイラケがゆうていたけど、人生では、体のアカより目のほうが大事やからや(傍の人間には、アカのほうが迷惑やろけど)。
せやけど、いつまでもこの少女のような目をしていたら、新興宗教のカモにされるけどな。
また、大人になると、相手の失敗に(ときには自分の)目をつぶることもおぼえんとあかん。目は人間の眼やからな。
この少女が、来年7月に神戸に来ることになっている。胸ドキドキや。それまで、あんまり汚いもんを見んようにして待っとこ。

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