病気(1)
今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~
「病気」(1)
この前、老人施設にいる父親から電話があって、死にそうな声で、「クルシー」とゆうて切れた。
毎週様子を見にいってるし、なにより介護を抱えている家族をサポートしている仕事をしている当方としては、びっくりして、施設に調べてもらった。
すると、血圧の薬を出してもらったら、自分は、ガンになったにちがいないと勘違いして、食事もせんようになったとゆうことらしい。
本人は、90才近くで、脳梗塞、糖尿病、白内障、ついでも胆石もして、順調に老化の道を進んでいるのに、何を考えてとると思うた。
「『老化は、静かに歩きましょう』と、小学校に貼ってあったやろ」。「それは、『廊下』やろ」とゆうのを、久しぶりに使いたくなった。
父親に、「本を見たら、飲んでいる薬は、どんなんかすぐわかる。息子のぼくも、毎日、5種類の血圧の薬を飲んでいるやないか、ほら」と見せても、納得せん。
確かに、昔は、ガンゆうたら、小声でゆう病気やった。ガンと診断されたら、地獄の一丁目に来たようやった。本人も、まわりのもんも、言葉がなかった。
だから、父親の中では、ガン=死とゆうイメージが膨らんできたんやろな。
昭和天皇も、自分の子供が、ガンになったとき、「うちは、ガンの家系やないけどな」とゆう話は有名や。どこでも、ガンに対するイメージはいっしょやな。しかも、本人も、ガンで苦しまはった。
30年ほど前、加古川かどこかの40代の散髪屋さんが、病院関係者の前で、ガン患者としての苦悩を講演したことがあった。
「仕事をしていて、店の前を通るおばあさんを見ていると、『なんで、若いぼくが、こんな病気になり、あのおばあさんより先に死んでいかんとあかんねん』と思いました」と、正直にゆうてた。
若いときは、かわいそうな人ぐらいしか思わなかったけど、今考えると、その人は、ひがみやねたみを乗りこえて、自分に向きあって、生きていこうとゆうところまで到達したんやと思う。
今は、ガンは、いろいろな方向から治療方法が開発されているから、父親のようなイメージを持つ人は少なくなるやろけど、また、違う病気が出てきたら、人は、おんなじようなイメージを持つやろ。
しかも、状況は、ますます悪くなっている。昭和40年以後に生まれたもんは、還暦まで生きられるかどうかあやしいとゆわれている。食事のせいや。また、「平均寿命は、世界一やで」とゆわれるかもしれんけど、長生きしてよかった思てるとしよりが少ないのが現実や。いつも調子が出てくると、時間がない。次回をお楽しみに。