病気(2)

   

今日も、ムーズがやってきた~きみと漫才を~

病気(2)
以前NHKの「お昼のプレゼント」とゆう番組で、100歳以上生きる秘訣をやっていた。
食べ物や性格などの、ようある長生きの秘訣やったけど。ゲストの医者(本人も、80才ぐらいやったが)が、あるおじいさんをつかまえて、「ええ生活をしているけど、惜しむらくは、体が大きすぎる。日本人は、体が大きいと長生きできまへん」ゆうとった。
今は、予防医学が発達したから、そう一概にはゆえへんやろけど、昔は、「天命」とゆう考えが強かった。一生懸命働いて、先祖からのものを食べて、倒れたらおしまいやった。
ぼくのおばあちゃんのように、96才で死ぬまで、いっぺんも医者に行ったことがなかった。
それが、本人にも、まわりにも自慢やった。「生きている間は、死なん」ゆうことやな。
昔は、食生活が、質素やったから、「医者知らず」もあったやろけど、今はありえへん。
また、長生きするから、病気になるとゆうこともあるやろ。
ところで、病気に対する態度ゆうことも、人によって違う。
「あの時、病気をせんかったら」と悔やむ人を、よう知ってる。
しかし、病気とともに、前向きに生きていく人も多い。先日、難病の人が「病気は、ライバルであり、親友です」とゆうてる人がいた。ほんまにえらいと思う。
自分ことを考えても、趣味がマラソンなのに、いろいろ病気らしきものを持っている。
「多汗症」はゆうた。汗が気になって、営業を思うようにでけんかったゆう思いがある。
旧通産省で、第一号のベンチャー企業経営者やったのにとか、世界中のリタイアした人が集まるビジネスをしたかったのにとかを、病気のせいにしているところがある。
しかし、銀行の役員室で、事業説明したとき、冬やったのに、暑がりのぼくのために、みんな背広を脱いでくれた感激を味わった。もう一度、事業をやり直せとゆうことやと思うて、また始めた。
「血管腫」で手術をした。ほんま腕でよかった。顔やったら、人前に出られへん。せやけど、熊本大学の医者は、血管腫でゆがんだ、自分の顔を、「ファニーフェース」とゆう団体を作って、活動している。ぼくには、でけへんやろな。
「小脳梗塞」もしているけど、「大脳でなかってよかったな、せやけど、今度したら、もう命おまへんで」と、医者にゆわれている。おじいさんも、昼飯のとき、倒れて、そのままやったから、ものすごい実感があるわ。お陰で、体の用心をするようになった。
自分が、いかに運がええか知りたかったら、大学病院の待合室にすわっててみ。
顔に、同じぐらいのこぶがついている人、成長が止まった人など、気の毒な人はなんぼでもいる。病気ゆうもんは、公害病などは別にして、もともと、自分の体にあるもんやと思うたほうがええような気がする。
仏の道を説く、ある高名な坊さんが、自分がガンになって、ものすごくショックを受けて、寝ついた。地獄・極楽は、自分の腹の内にあるようやで。

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